特別何かを貰ったわけでも、何かをしてもらったわけでもないけれど。
 当たり前のありがたさに気付かせてくれた君に。
 いつも隣にいる君に。

 少しだけ感謝を込めて。




 週の真ん中の水曜日。東方は6時間目の授業が終わると、鞄を手にとりそそくさと教室を後にする。部活を引退した今、彼の向かう先は部室ではなく昇降口。
 ずっとダブルスを組んでいた南とは、最寄の駅からお互い反対方向に自宅があるため、一緒に帰ることができるのも駅までの道のりだけである。

 テニスをしていたつい最近までは、それも自然な流れだったが、二学期が始まってから十日目。
 始業式が終わった後、さてどうしたもんだと先に着いたまましばらく考え込み、とりあえず南がいるのかと彼の教室に向かった東方は、廊下の向こうから同じように歩いてきた南と出くわした。

 「よぉ。何か変だよな部活がないのも。放課後東方と一緒じゃないのも変な感じだよ。」
 「あぁ、そうだな。じゃ、帰ろうか。」

 いつもの通学路を南と他愛無い話をして帰る、それもまた、毎日の一部。
 それでもどちらかの委員会やら進路相談やら、図書室での調べ物があったりで、始業式以来一度も揃って下校していなかった。
 わざわざお互いのスケジュールを確認しに行ったりはしなくても、何となくは把握している。部活動がなくなった今でも、昼休みは一緒に過ごしているが、それはどちらかがやめようと言い出さない限り続くであろう、習慣的なもの。

 南の言うように、東方も南がいない放課後は不自然な感じがしていた。
 いつもしている時計を忘れてきたようで落ち着かない。
 あれ、それ。代名詞で通じるような会話ができないもどかしさ。

 今日も南は委員会があると知っている東方は、何人かの同級生に挨拶をしながら、自分の下駄箱に辿り着いた。あとはローファーを出して帰るだけである。
 それなのに、後ろ髪が引かれる思いがするのは、気のせいであろうか。

 南にだけは祝ってほしかっただなんて、そんな我侭が一瞬頭にちらついて、東方は一人ため息をつく。

 気を取り直して下駄箱に手をかけると、黒い革靴をタイル張りの床に置く。
 つい最近まではスニーカーを履いていたが、傷みが激しく、部活を引退したと同時に母親が新しいものをよこした。
 「靴はいいものを履きなさい。」
 それは彼女の口癖だったが、東方には履きやすさ以上に思い入れがあったため、わざわざ反発はしないまでも、役目を終えたシューズを、ラケットと共にクローゼットに大事に保存している。

 靴の片方に足を入れたところで、聞き慣れた声に呼び止められる。

 「おーい!そこのため息ついてるオッサン!!」
 「何だよ、南か。それを言うならおまえの方が2ヶ月位年上だろう。」
 「今日から同い年なんだからさー。それだったらどっちがオッサンかは、言うまでもないんじゃないの?」
 勝ち誇ったような笑顔を浮かべると、南は東方の背後に位置する下駄箱からスニーカーを取り出す。

 「おまえ、委員会は?」
 東方がクローゼットの中で眠る自分のそれと色違いのスニーカーに目線をやると、南のツンツン逆立った黒髪も下を向く。
 「・・・なんか愛着わいちゃってさ。今日はアンケート提出すれば3年は帰ってよかったから。」
 「そうなんだ。じゃあ帰ろうか。」
 二人揃って昇降口を後にする。

 東方のなかで途端に何かが満たさていく。
 足りなかった欠片を見つけたような気持ち。

 「雅美ちゃんち、今日のディナーはハンバーグかなっ?」
 「・・・それ、千石の真似か?」
 「何だよそのダメ出ししたげな顔はー!?」
 「南にはまだ恥じらいが残ってるから。」

 180p近い南が、小首を傾げて東方の胸をつつく姿は、はっきり言わせてもらえれば、滑稽以外の何物でもなかったが、吹き出しそうになるのを堪えて、今日も相方に付き合う東方雅美、15歳になりたて。

 「厳しいなぁ。まぁ、これからも頼りにしてるぞ。」
 照れたような、苦笑いのような、目尻を下げた笑顔で南は、左手で後頭部をかきながら右手を差し出す。
 「は?ツッコミを?」
 何のことか把握できずに、とりあえず東方も南にならって右手を重ねる。
 「いや、とりあえずおめでとうって言っとこうかと。それに東方にはツッコミは早いかな。」
 「そりゃ、どうも。」

 約束とか、確認とか、改まった言葉とか。
 形がなくてもどうやらこれからもやっていけそうな気がして。

 それでも不安になったなら、立ち止まって声に出してみたらいい。
 君もそう思っていてくれて、よかった。
『帰り道』/明芝 TOP