いつもの喫茶店で、小さいテーブルに教科書とノートを広げていた。
ふっと息をついてコーヒーを口に運びながら目を上げると、亜久津がいた。
手ブラ、と思いきや、その体の向こうの赤い光がある。
うーん、と一度うなって、東方は立ち上がった。



「亜久津」
店から数メートル走って呼び止める。
睨まれて動じるような神経ではない、ということを
亜久津もそろそろ学習し初めている。
「すまんがそれ・・・・」

指差しで示されたタバコに同じく目をやる。
「制服と部ジャーの時だけはやめてくれないか。」

落ち着いた物言いと、わずかだが見下ろされて気分が悪かった。
「・・・誰に向かって・・・・」
「おまえがいなくてもうちは勝てるよ。
 おまえを更正させようなんて伴じぃも思っちゃいないだろ。
 部に迷惑かけられる前に辞めてもらって構わないんだよ、俺たちは。」
「おまえらだけで勝てんのか?あの・・・チビに。」
「団体戦なのは知ってるだろ。一敗しても三勝すればいいんだ。」
言い返す言葉がなかった。

辞めてやる、と言えないのは
それはこいつにも越前にも伴田にも負けてしまうことになるような気がしたからだ。
亜久津はタバコを投げ捨てて、そこから立ち去った。



***



自分に絶対的自信があるから、差し伸べられる手をはねのける亜久津と、
自信のなさを、誰かの力になることで、誤魔化している己。
進む場所は全く異なっているはずなのに、
あの目を見ると何処か胸騒ぎがするのも、事実だ。
その答えが知りたくて、だが易々と越えられるような隔たりでもなく、
東方はただじっと、その距離感を探っていた。
保護者のような、害のない顔をして。



「それ、外では吸わなくなったんだな。」
いつものテーブルの上で所在がないような、
それでいて存在感のあるパッケージを指差す。
高みから見下ろされて、腰を浮かせかけた亜久津の肩を押し返すと、
ぴくり、と筋肉が動いた。

「何の用だ?」
「ハハ、そう睨むなって。嫌でも目に入るだろう、その髪。」
東方は有無を言わさず目の前の椅子を引くと、メニューを広げた。
「ここで食う気か?」
「亜久津こそ、それ、残してくんだ?意外な組合わせだな、面白い。」
女子が好むようなデコレーションのデザートを前に、
カメラつきの携帯を開いてちらつかせれば、ちっ、とあからさまに舌打ちする。

黙々とグラスにそびえるそれを平らげていく亜久津と、
本に視線を落としては無表情でそれを読破していく東方。
注がれる視線に黙り込むことを決めれば、途端に落ち着かなくなるそれ。
小さな箱に伸ばされた手に自分のそれを重ねると、
東方はしばらくぶりに顔を上げる。

「知ってる。俺達に負けを認めたも同然だもんな?
えちぜ…『あのチビ』と戦えなくなるってことは。」
「うるせぇ、てめぇもその一員だろ?こんなところで何してやがる!」
声を荒げたその唇にもう片方の手を押し付けた東方からは、
意外な答えが返ってくる。
「俺だって、一人になりたい時あるんだよ。」
耳元で囁かれて一瞬亜久津の動きが止まる。
次に目を見開いた先には、くしゃくしゃに丸められたパッケージ。

「おまえだって知ってたんだろう?俺がいつもここに座ってるってさ。」
吸わない煙草。
誰も踏み入れることを許さないのに、あからさまなサイン。

そして何より、制服越しに伝わる、薄い皮膚の下の屈強な精神と、
吸い付いてくるような肌の感触に、拒絶だけでない何かを感じて、
東方はコーヒーを一口すすると、苦笑いを返すのが精一杯だった。



***



いきおいに任せてスプーンを口に運んでいたが、
半分程に減った器の中をのぞき込んで亜久津は一度手を止めた。
これを食べ終えて、自分が当然とるであろう行動を、
東方も読んでいるだろうし、そうしなければまた余計な詮索をされるだろう。

一人になりたいならわざわざ、あえて自分を捕まえることはなかったはずだ。
こちらの方が読みが浅いだろうことくらいは亜久津にはわかっている。
だから、余計な気をまわすよりは、いつもみたいにつっぱねてしまえばいい・・・

混乱して悪態をつきそうになって、
亜久津は喉につまらせた。
静かに本に目を落としていた東方がちらっと目を上げて笑って
こちらも半分程になっているコーヒーに口をつけた。

下の方に詰まっているコーンフレークが、
アイスクリームで湿るように長いスプーンでかき混ぜながら様子を伺う。
こうして気にしていることをわかっていながら
それでいてなにも言わないでいてくれている。
行動を自分で選ぶことがこんなにも困難だと
意識したのは初めてだった。

ここに来るとわかっていて
ここにいたことも東方はわかっているのだろう。
話しかければ本を閉じて、きっと
身を乗り出して聞いてくれるはずだ。
それに甘んじてしまうこともできずに、
結局は底の見え始めた器をじっと見つめているしかなかった。



***



自分の行動一つで、亜久津が動揺している。
東方から見てもそれは明らかであった。
だからといって、そこをわざわざ指摘するほど、自分は浅はかではない。
形は違えど感情の表現が得意でないのは、東方も同じである。
先回りして騒ぎ立てられれば、動揺を隠し冷静さを貫くか、
逆らいたくなるのだから。

ここに座ることができたというのは、
言い換えれば彼のテリトリ−に共存することを、
少なくとも拒否はされなかった、というわけだ。
敵意を持たない人物にまで歯向かうほど、
亜久津も脳がないわけではないないということも、自分はわかっている。
誰よりも、プライドの高い男。

カラン、とスプーンを器に戻す音がして東方が顔を上げれば、
丸められたパッケージをポケットにねじ込もうとする亜久津と目が合う。
彼がもし、ここに残る理由があるなら、1本も入っていないそれを吸うぐらいで、
だがそれは既に、役目を終えたもの。
ここに残すことは、彼のプライドを傷つけること。
気を引いて、次にしたいことは、きっともっと、単純なことであろう。
だが自ら誘うこともまた、彼のプライドが許さないのだ。

それを察すると、東方は本を閉じ、亜久津に提案した。
「それが、堂々と吸えるところに移動するか?例えば、俺の家とか。」

彼の自信を守ることが、己の自信になるのであれば、
自分のプライドを少し手放すことなど、厭わない。
距離感や疎外感を埋めることは、自分にしかできないと、
思うことができるのであれば。
その向こうにあるものを、独り占めできるのであれば。
そう思いながら、東方は毒にもならない笑顔で亜久津を誘った。



***



@ただそう言ってみただけ。
A部屋に着いたとたん説教でもして更正させようとしている。
B友達がいないとか思われて同情されている。
C・・・俺に興味がある。

蛇に睨まれた蛙のように身動きがとれなくなった。
それ以上のことを考えてるかもしれない。
今のところ自分にはそれくらいしか思いつけなかったが。
どんなに頭をめぐらせても、その真意を引き出すような
うまい言葉が見つからない。
水を飲み干す間に、東方もコーヒーをすすっていた。


ストローから口を離した東方が少し肩を竦めたのが
照れ隠しにも見えて、亜久津は少しほっとした。

東方も、馴れ合いが好きな人種ではない。
自分に対してどうこう・・・・と思うのは思い上がりかもしれない。
彼なりの事情をあれこれ考えても仕方がない。

目の前にあった灰皿をポケットにつっこんで立ち上がった。

「おい。」

それを注意されるのかと身構えたが
「会計は別だぞ?」
東方は伝票をひらひらさせて追いかけてきた。



ほとんど口をきかずに、家にあげる時にだけ
「なにもありませんがどーぞ。」
と、ドアを開けてくれた。

背後に立たれるとどうも落ち着かなくて、
つっかけているだけのローファーを振り返ってから脱いだ。
東方は家の鍵を、壁から突き出ているくぎにひっかけてから
自分の部屋を案内した。


「まぁ適当にくつろげよ。あぁ、今座布団もってくるから。」

窓をあけて椅子に座る。
勉強机は参考書と英語の辞書があるだけで傷一つない。
そこにアルミの灰皿など置けなくて、
膝の上にそれを置いてから火をつけた。



***



自室に戻ると椅子に座り、外を眺める亜久津がいた。
正しくは、煙草の煙が篭らないようにという配慮らしかったが、
そんな気遣いや、そもそも勉強机と彼という図式が可笑しくて、
東方は声を殺して笑う。

ドアの音がしてもなお、こちらに背中を見せたままだというのは、
来たことを後悔しているのであろうか。
もしそうであれば、東方がいない間にさっさと帰れば言いだけの話である。
それとも、逃げたと言われることが許せず、
渋々と居座り続けているのであろうか。

もしくは、誘われた理由を、強烈に意識しているのであろうか。

「亜久津は、そこでいいのか?」
座布団をポンポンと叩くと床に落とす。
「…あぁ。」
生返事を寄越す彼に足音を立てないように忍び寄り、東方はその
肩に手を掛けて椅子ごと自分の方に向かせると、膝をついて
見上げる。
「お互い一人が好きなのに、わざわざここに一緒にいる、
その答えは亜久津が思ってる通りだよ。」
敵意はないのだと、寧ろ興味があるのだと、伝えてやりたかった。

いつも風を切って歩いているそこが、びくっと跳ねて、
戸惑い気味に見下ろしてくる。
そういえばこうして瞳を見上げるのは初めてで、
それでも思っていた以上に、そこは嘘偽りを隠せないようだった。

その白い両手首をそっと握る。
振り解かれることはないと、根拠の無い確信を胸に忍ばせて。



***



拒絶されるのが怖いから
誰にも近付かないでいる。
やり方は違うがそれは東方も同じだった。

先に傷付けてわからせるのがいつものパターン。
でも今ここで東方に対してそうしたら
感じる痛みは二人分以上だ。


ただの慰め合いで終わらせればいいだけ。
考えるより先に体が反応する前に。
東方ならきっと明日顔を合わせてもポーカーフェイスを決め込む。
いつもみたいにそれは、睨み返せばいい。
力む自分を笑っていなしてくれるだろう。

頼るつもりでも、縋るつもりでもない。
何かを紛らわすために一緒にいるわけでもない。
目的もなく、こうして傍にいることが
あまりにも自然で、その自然過ぎる不自然さに
居心地が悪いわけでもない。
考えるのは苦手。
素直に感じるのは もっと苦手だ。




目を閉じると少し重みのかかった椅子が軋む。
唇に触れたそれが思った以上に柔らかくて
思わず目を見開いた。

剥き出しの繊細さを
お互いが再認識する。

突き放す前にほどかれた体が
不安定に揺れる。

背もたれに身を預け
まだ手にしていたたばこを見やった。
口に運ぶ気になれなくて灰皿に揉み消した。



***



口先に残ったのは苦い煙草の味。
装っていたのは、警戒と、無関心。

それなのにまるで、和らいだような空気を、
どう説明すればよいのだろう?
離れていく顔はまるで、今の自分を映す鏡のようだった。

「確かにホープの味がする。」
「…不良。」
「不良に言われたくないかな。せめて、共犯、とかさ。」
「ちっ、タチの悪い…。」

それはこの行為をそう呼ぶのであろうか?
自分のことをそう呼ぶのであろうか?

それとも…

名前などつけるような関係でないことは明白であるのに。
そんな執着はルール違反であると笑われるであろうか。

もっとも、ルールなどができるぐらい、深い付き合いでもないくせに。

自嘲気味に笑いながらも、感じた胸騒ぎの答えは、単純なもので。
それを確かめる行為もしごく自然で。

だとしたら、それを確信に変えるために、隣りにいることぐらいは、
許されるということであろうか。



しばらく他愛も無いことを話した後、
亜久津は「帰る。」と言って立ち上がった。
東方も「そうか。」とだけ返す。
明日学校で顔を合わせても、いきなり馴れ馴れしく話し掛けるつもりはない、
ということは、きっとこの短い時間の会話で、了解してもらえたはずだ。

「それ、置いてけよ。また、来るんだろ。うちでは、誰も吸わないから。」
「…あぁ。」
灰皿に手を伸ばした亜久津の手に、吸殻を捨てて置くから、
と言うつもりで東方が自分のそれを重ねれば。



離れていく顔も同じように、今日のことを思い出すのであろうか。



二度目のキスは、妙に甘かった。
『MELLOW』/今井 ケトン様&明芝 TOP
*今井→明芝の順で、それぞれ亜久津と東方を担当しています。
(最初だけ今井さんが両方視点)

お互い山吹で好きなキャラを絡ませたらどうなるんだろう、という思いつきだけでリレーしたもので、お互いの東方/亜久津観を、まさにこの話のように探りながら書いたのを覚えています。

明芝のは、東亜の東方というより、典型的なBL攻めになったような気が…そうでないとどちらも行動を起こさない二人だったので、許して下さい…。