02/ともだち
「あーあ、どうするかな…。」
目の前のノートは消しゴムのかけすぎでくしゃくしゃに皺が寄っている。
南はついでに自分の頭もくしゃくしゃっと掻いた。
国語の宿題で出た「友だちについて」という作文。
単純そうに見えて、そのテーマが広い意味でとれることに気付いてから、一気に集中力が途切れる。
例えば「自分の友だちの誰かについて」なのか、それともいわゆる「本当の友だち」とは、なのか。
前者だったら、具体例を挙げるのは気が引けるし、後者だったら気恥ずかしい。

それでもここで、どうでもいい適当な文章を書いて出すのもまた、気が引ける。
目の前の机は、小学校に上がった時に買ってもらった高さの調節できるそれで、予定外に伸びた身長では、目盛りの限界まで伸ばしても、何だか窮屈だった。
朝から晩まで外でスポーツに明け暮れていたので、余計にここにへばりついているのは苦手だからかもしれない。 キャスターつきの椅子をバックさせると、半回転させてそのままベッドに上半身を預けた。
よくテスト前に瞼を閉じて、「10分だけ」とおまじないのように自分に言い聞かせるのだが、それは大抵守られたことがなかった。
今もこうして、顔にノートを乗せながら布団の誘惑と戦ってみる。無駄な抵抗と知りながら。



「おい南、何してんだ?」
聞き慣れた声とともに明るさを遮っていた視界に再び光が射し、南はガバッと飛び起きたかったのだが、勢いをつけすぎて、椅子だけがガラガラと尻の下から遠ざかって行った。
当然、腰から下は空中に置いてきぼりで。
「わ〜…!!!」
持ち前の反射神経のよさで、腕に力を入れて上半身はベッドにしがみついた。
それでもどこかで、背中から強打するところを想像し、目をぎゅっと瞑った。

「あれ…?」
その激痛が襲ってこない不思議さに、恐る恐るあたりを見回すと、下から誰かの腕と脚に支えられている。
「あ、サンキュー。」
「あぁ。」
その肩につかまって、何とか立ち上がると、南は振り向いた。
「あれ、なんでここに東方がいるんだ…?」
「…俺ってやっぱり、地味なんだな、存在自体が…。」
片膝をついた状態でがっくりとうなだれた東方に、南は慌てて首を横に振った。
「そんなことないぞ!」
そこで彼が言ったことを肯定するのは、自分もそうだということを認めることにもなるから。

それでも大きい自分を持ち上げてもへこたれないのは、いつも一緒に準備運動をしている彼だからだ。
何でもなかったように立ち上がると、床に落ちていたノートを拾い上げ、ベッドに腰かける。
「今ジムの帰りでさ、何か気付いたら南んちに足が向いてたんだ。…でもおばさんが言ってた通りだったな。」
それをパラパラと捲りながら、さもついでのように言う。
二人の家は学校を挟んで正反対のところに位置するのだから、よっぽど疲れてボーっとしていたか、さもなければ、意志がなければ来ることもないのに。
ただでさえ妙に律儀だから、約束もないのにやって来る時は、ちゃんとメールなり電話なりで事前に連絡をよこすのだ。

「そうか。で、何だよ『言ってた通り』って。」
椅子に後ろ向きに跨ると、南はまたガラガラと音を立てながら東方に詰め寄る。
「『健が2階で静かな時は、大抵寝てるのよ。』ってさ。」
目線は落としたまま、聴覚だけで危険を察したのか、ベッドの上にその脚を避難させてはあぐらをかいた。
「寝てないだろ。それにおい、返せよ、東方!」
腕を伸ばそうと空中でもがくと、片脚を椅子のストッパーにしながら、何かを見つけたようにして笑いを堪えている。
「南さん、このミミズののたくったような字は…。」
「うるさい!いいから早くっ!それを終わらせなきゃ他の宿題が…。」
恐らく彼が指したのは、水泳の次の時間に受けた日の文面だ。

「ふーん。」
それだけ言うと、東方はそのノートで南の頭を何度か叩き、手元に差し出した。
大抵この週末に躓いているのは数学や英語の課題で、悔しいかなそれはこの彼が割と得意とする科目であった。
決して、「教えてほしけりゃ何かくれよ」、なんて言う人ではないのだが、こちらから言わない限り「見ようか?」とは言い出さない。
勿論本人の為にならない、という名目もあるのだが、何よりも負けず嫌いな南のことを尊重してくれているらしい、とぼんやりとは気付いている。

東方はそのままベッドに寝転んで、あたりに置いてあった漫画を読み始めたので、南も仕方なくまた、机に向かった。
避けたからといって事態が変わるはずもなく、それでも今日は妙に背後が気になる。
「あ、東方、腹減ってないか?」
「いいからちゃんとやりなさい。」
ここから逃げ出す口実を呆気なくやんわりと却下されて、南は頭を抱えた。
のん気に笑っている東方が恨めしくなる。いっそこいつのことを書いてやろうかと。



「それ、『友だち』って作文だろ?俺もこないだ提出したよ。」
三十分ほどそうしていただろうか、突然声をかけられる。
東方とクラスは違ったが担当教師は一緒のため、授業の内容も同じだった。
「へぇー。何か難しくなかったか?恥ずかしいっていうかさ…。」
聞き耳を立てつつも、あくまでさり気なさを装い、シャーペンを走らせながら南は続きを促した。
「そうかな?俺は南のことを思い浮かべて書いたから、割とスラスラ書けたよ。」
「えっ…?」
思ってもみなかったことを返されて、ポキン、と芯が折れた。
ここで、まだ沢山書けたのに勿体無い、と思ってはさすがに失礼に当たるだろうか。

「じゃ、俺はそろそろ帰るかな。南これ、借りてくな。」
返事も待たずに東方がバッグにしまったそれは、南が特に好きな話で、彼もここに来て3回は読んだはずだった。
さすがにいたたまれなくなったのか、それともその「友だち」を間近にして書く立場になった南を考慮してのことなのか。
「あぁ。」
振り返らずにただ、後ろ手でバイバイと手を振れば、東方もまた、同じことを返しているのが見えた。



背中が少しだけ、あたたかくなったから。


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