05/シングルス
ささいなきっかけから始まった試合の展開を、本人達以外は半ば呆れ顔で眺めている。

「遠慮するなよ南!」
東方がコーナーギリギリの深いところに打ちこめば、南もネット際すれすれにボールを落とす。
「そっちこそ足止まってるぞ東方!」
互いに違うタイプのプレーヤーでありながら、一進一退の攻防を繰り広げており、ついにはタイブレークに持ち込むか、というところまでになった。

「はい、そこまでー!」
これから、というところで千石に幕を降ろされて、互いに不服そうな顔で立ち尽くしている。
「もうわかったからさー。はい、握手して。」
ベンチから足を投げ出し、頭の後ろで腕を組んでいる言い出しっぺにそう言われて、両者は渋々従う。
「どうせ遊びじゃないかーお二人さん。」
地味ーズは頭がかたいんだから、と続いた言葉に、手を離さぬままで「おまえが言いだしたんだろ!」とツッコミを入れる。

「ここ、みんなのテニスコートなわけですから。」
暢気に携帯を取り出しては、メールを打ち出した千石にかわって、室町が諌めるように続いた。
「何がわかったんだよ、まったく…。」
溜息を吐きながら南は、小さなディスプレイにご執心の千石の頭に雷を落とした。
正しくは、かわされた拳は見事にベンチに墜落し、南は唇を噛み締めている。

「本当だ…ごめんな、もうどくから、どうぞ?」
手をぶらぶらさせながら、やりきれなさと格闘している彼に見て見ぬフリを決め込むと、東方はコート脇のフェンスを掴み、膝を曲げた。
金網越しに、ラケットを抱えた小さな子供が頷き返す。

「おっと!こんな時間。じゃ、また明日。」
携帯を閉じながら跳ねるようにしてベンチから立ち上がると、千石は出口に向かった。
木製のそれと、荒く閉められた金網のドアの軋みが、オレンジ色の空にこだまして、三者三様に黄昏れる。

「相変わらず忙しい人ですね。」
揺れの残る空席をちらりと見ると、室町は膝上の鞄からヘッドフォンを取り出して、首にかけた。
「今に始まったことじゃないだろ。」
「まぁ、あとでメールくれるだろ、あれで意外とマメだから。」
ベンチの背もたれにかかった制服の上着に手を伸ばしながら、もう片方の手で着ているTシャツの裾で顔を拭く南に、タオルが差し出される。
「そうかー?ん、サンキュ。」
「それ、使ってないから。そんなので拭いたらますますニキビ悪化するぞ。」
もう一つあるベンチの上に置いたバッグを全開すると、東方は中から着替え用のシャツを取り出し、今着ているものを脱いだ。
「これ使うか?」
「あぁ、サンキュー。」
タオルで顔を拭きながら南が差し出した制汗剤を東方が受けとると、室町と目があった。

「さすがに公衆の面前でシューはしないぞ。」
「いや、違います…シューする気満々の格好で言われても、説得力ないですし。とっとと着てください。」
「じゃあ、なんだ?」
手早く身支度を整え、東方が襟元から顔を出せば、もう室町は片耳を自分の世界に突っ込んでいる。

「俺達が言い出した『南部長と東方先輩は、シングルスだとどっちが強いんだ』って対戦、さっきは未練たらたらって感じだったのに、引き際はあっさりですよね。」
まるで千石に続いて、室町ももうわかった、とでも言い出しそうな顔。
「あぁ、それはな…。」
「それは、俺でもわかるぞ!」
相方を待つ間はと、ベンチに腰を下ろした東方の代わりにと、鏡を片手に髪型を直しながら南が口を挟んだ。

「途中から、そんなことどうでもよくってただ、楽しくなってただけだ。な、東方?」
「まぁ、そういうこと。」
二人から満面の笑顔を返されて、室町は深くため息をついた。
「…はぁ、そうですか。では、お先に失礼します。」

小さくなって行く後輩の背中に手を振りながら、南は首をかしげている。
「何か、釈然としないのか?」
膝の上で手を組んだ東方が下から覗き込めば、慌てて持ち物をバッグに詰め込みだす。
「いや、だってさ、結局のところ、何がわかったんだろ?ってさ。」
正直者の心を映す鏡に、笑い出しそうになるのを堪えながら、東方は拝借していたスプレーを掌から放り投げた。

「ほら、これも。さっき既に答えを…。」
「だって俺、シングルスじゃ劣るからダブルス組んでるわけじゃないんだし、おまえがいちいち思うところに打ち返してくるからさー。途中から試合の意図忘れてた!東方もだろ?」
「あ、うん…そう、ですね。」
「悪い、話遮った。ほら、続き。」
返却された筒状のそれをしまいながら南が促すも、東方は口を閉ざしたまま。 正確には、閉じるのを忘れているのだが、この際南にはどちらでも同じだった。

「ほら、何だよ?」
荷物を背負った南は、東方の正面に仁王立ちしている。
このまま貝になるのは難しいのだろうかと、観念して乾いた唇から東方が言葉を絞り出そうとした矢先に、南の携帯が鳴る。

「…メールだからあとでいい。」
「いや、どうぞ。」
ごめん、と手で合図して南はそれを開いた。
その隙に東方も、ペットボトルに口をつける。

「あ、おまえが言った通り千石だ。」
「ん。」
わざわざ言うのは内容を伝えたいのだろうかと、東方が目で合図すれば、南は文面を読み上げる。
「『東方は、南相手にしか本気でテニスしないって知ってた?』…って、謝ってないだろコイツ!」
「…あ、ツッコミ入れるとこ、そこなんだ。」
一抹の寂しさを覚えながらも、助け舟だと乗りかける東方に、予想外の荒波が襲いかかる。

「当たり前だろ。手抜きやがったらコンビ解散だからな!帰るぞ。」
「あ、はい…。」
後ろポケットに携帯をしまいながら指示する南の言うがままに、東方も立ち上がる。

「で、さっきの答えは?」
「…。」

唯一気付かれていないであろうと踏んでいたからこそ、正直になれた手にあっさりそう言われて、顔から火が出そうになりながら、東方は再び口とともに、キャップにかたく栓をした。


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