いちばんの贈り物 |
「赤澤部長、クリスマスって予定ありますか?」 十二月も中旬に入り、学校がミッション系だからその前日はキリスト誕生を祝うミサがあるけれど、俺は勇気を振り絞って赤澤先輩に話しかけた。 本当はもうとっくに部長ではないその人。 『部長』と呼ぶ癖が抜けずに困っていた俺を笑って許してくれたその人。 去年はテニス部で集まって馬鹿騒ぎをして、それはそれで楽しかった。 でも今年は、俺から自主的に誘わなくては、何の接点もない一日で終わってしまう。 日本独特の、恋人同士で過ごすという文化も、当然男二人には縁があるはずもなくて。 「あるわけないだろ。なんでこの学校入ったのかわかんねぇくらいなんだから。」 今では偶然昇降口で会うとか、廊下で擦れ違うことがない限り、校内で赤澤先輩と接触する時間はないに等しい。 本来寮までは歩いてすぐの距離にあり、しかも部活のある自分と、引退した身の赤澤先輩では下校時刻も異なるから、一緒に帰ることも殆どなかった。 相変わらず寮では先輩が俺の部屋にやって来るけれど、俺が毎日当たり前に思っていた時間を、こんなにも懐かしく思う日が来るなんて。 毎日放課後寄り道をしては、一緒に腹ごしらえをしていたあの頃の自分は、想像できていたのかな。 「じゃ、興味ないですよね…?」 委員会の会議で遅くなったらしい赤澤先輩の後ろ姿を昇降口で見かけて、慌てて走り寄ったまではよかったけれど。 素っ気ない口調に思わず肩を落としてしまう。 (まさかクリスマスまで俺と過ごしてくれる気はないよなぁ…。) 「オマケは話が別だぞ。ケーキは好きだし。そういうおまえはどうなんだよ?」 「あの…っ、暇です。多分家族で過ごすでしょうし。何か、去年が懐かしいなぁって。」 未練がましい口調になってしまって、帰る生徒もまばらな昇降口に厭な余韻が残る。 先輩の大きな手にポンポンと頭を叩かれて、ハッと顔を上げると、 「今年は柳沢達はさっさと帰省するみたいだしなぁ。裕太とかと部活でやんねぇの?」 マフラーを巻き直しながら、赤澤先輩は少し寂しそうな目をした。 なんだかんだいっても、観月先輩達とは、いつも一緒に過ごしていたから、今の部内の状態が気になるみたいだった。 「特にないです。…いえっ、ちゃんと上手くいってますよ?ただ…。」 今年の大会で負けたら最後だった三年生の間では、補強組と生え抜き部員同士、少なからずゴタゴタがあって、テニス部を去ってゆく先輩達を何人も見てきた。 赤澤先輩はその間に入って、心底苦労したみたいで、それでも何でもないように振舞う姿が痛々しくて。 そんな部長を皆は「能天気でうらやましい。」なんて簡単に笑うから、もどかしくて 悔しくて。 だって何も考えてない人が、こんなに後輩を気にかけてくれる? だからたまにだけれど俺に愚痴をこぼしてくれた時、俺には心を許してくれているんだなぁって嬉しかった。 ただ黙って話を聞いていただけだけれど、何度も「金田ありがとう!」って、俺の大好きな、向日葵みたいな明るい笑顔で言ってくれたから。 「ただ何だよ。」 校門に向かって歩きながら見える夕陽で、部長達がいたテニス部をつい昨日のことのように思い出す。 「良い意味で、ドライなんですよね。部活は部活の付き合いっていうんですかね?」 ただ、俺や裕太が三年生、特に観月さん達補強部員と分け隔てなく付き合っていたのを未だに根に持っているというか、そんなグループがいるのも確かで、『一致団結』にはほど遠いのもまた事実。 赤澤先輩が部長になった時に比べたら、ニ年生はまとまってきているし、いい雰囲気でテニスを出来ているのは事実で恵まれているとは思う。 「そういう時こそみんなで集まってパーッと騒ぐのがいいんだよ!ほら部活中って、うちなんか学校の方針で和気あいあいとやる雰囲気じゃねぇだろ?だから、おまえらが進んで開かねぇと。な、笑顔笑顔!」 俺の表情がよっぽど暗かったのか、先輩は俺の両頬を引っ張ると、 無理矢理口角を持ち上げようとした。 「そうですよね…。」 頭ではわかっていても、白い息とともについついため息までも吐き出してしまう。 「おまえも裕太も根が真面目すぎだからなぁ。なんでも完璧にしようって思うと上の立場なんて辛いだけなんだぞ。」 やけに実感がこもっているような言葉だけに、重みを感じて。 「はいぃ…。」 「気ぃ抜けた返事するな!仕方ねぇな久々に『赤澤部長』見せてやるからよ。とりあえず、クリスマス礼拝の後空けとけ!」 言葉とは裏腹に、いつになく優しい顔をして微笑む先輩。 ちゃんとクリスマスのことまで考えていてくれた先輩。 寮まで戻って、今はテニスバッグを担いでいない、その後姿を見送りながら、俺は柄にもなく泣きそうになった。 あれから十日ほど経ち、気がつけばクリスマスイブ。 本来なら明日礼拝を行うところが、終業式も兼ねているため午前中には学校が終わり、今日は部活動はどの部も行わないことになっている為、皆早々と寮に戻っていった。 廊下で会った柳沢先輩達三年生は、部活もないのでこれからすぐに帰省するという話。 不二も今日は家に戻るらしくて、いそいそと学校を後にした。 俺は赤澤先輩に教室で待っているように言われたから、誰も居ない空間で一人、窓の外を眺めていた。 北風に吹かれて揺れる木の枝を何となく自分に重ねて見ていたら、改めて『赤澤部長』の存在の大きさ痛感してしまって、また泣きそうになる。 「悪い金田!待たせたな。」 ドアを勢いよく開けて、赤澤先輩が入ってきた。 考えたらこんな こと、数えるほどしかなかった不思議な光景。 「あれ部長、それ…。」 不思議だと思ったのは肩からラケットケースを担いでいたせいもあったのか。 「実はさ、顧問に頼んでこれ借りてきたんだ。」 俺の目の前には、テニスコートのキーが揺れていた。 「久々に金田とテニスしようと思ってよ。俺がブランクあるからって手ぇ抜いたら怒るからな!」 ラケットを振るそぶりをして張り切る部長を見ていたら、自然と笑顔がこぼれた。 「部長…。はいっ!」 「おっ久々に笑顔見た!おまえ俺と初めて話した時みたいにガチガチだったよな。」 「え…あ、そうでしたっけ?」 そうごまかそうとしたけれど、本当は顔が怖くてまともに喋れなかったなんて口が裂けても言えない…今では可愛くて仕方がないその人が憧れの存在になるのに、時間はかからなかったのに。 「そうと決まったら部室行くぞ。おまえ部室の鍵持ってんだろ?」 「うぉ〜久しぶり!!」 部室で学校指定のジャージに着替えると、俺達は早速コートに 入った。 「部長よく許可とれましたよね?一斉に家に帰らせられる日 なのに…。」 「ん?ちょっと作りすぎたかもな…金田が俺に告白してくれた 送別会のこととかさ。」 「な…っ!告白…っ!?」 「なーんてな。何どもってんだよ?まぁ、ああやって泣かれたら さすがにグッときたけどな。」 「はぁ…。」 普段鈍いようで、こうやって俺を舞い上がらせるようなことを さらって言うから、やっぱり『ばか澤』を通り越して、可愛くて 可愛くてどうしようもない人…。 「あれだな、おまえももう少し、腹を割るっていうか…。」 久々に赤澤先輩と打ち合いながら、その姿にまた涙腺が緩みそう になっていると、ネットの向こうから声をかけられる。 「はい?」 「俺に何でも話してくれたみたいに、おまえも部員に今の気持ち をさ…。」 「正直に話してみたらいいぞ。…えーっと、自分で言うのも 何だけどな。」 実際打つまで、物凄く距離を感じていたのに、こうやって始めて みたら、一緒にテニスをしていた毎日が色鮮やかに蘇ってくる。 「金田が俺のこと慕ってくれたみたいに、おまえのこと慕って くれる奴が出てきたら安心だな。」 「赤澤部長…。」 吹き荒ぶ風は冷たくて、頬とか耳とか手が、痛いくらいなのに。 「おまえは俺がいたテニス部を追い求めてくれてるのかもしれない けど、これからはおまえ達のテニス部だろ!」 「は…っ、はい!」 「大丈夫だって、金田部長の良さは一緒にやってきた俺が太鼓判 押してやるから!」 赤澤先輩の低くて、でもとっても温かい声が染みてきて、甘い 考えをしていた自分が居たたまれなくて、この時はボールを追って いなかったら、本気で泣いていたかもしれない。 「木更津も野村も、柳沢だってそうだし、何よりおまえを部長に 推薦したのは観月なんだからな。」 「え、観月先輩が…?」 俺は、赤澤先輩の肩を持つことばかりしていて、観月先輩は裕太の ことを高く評価していたから、てっきり裕太がなるものだと思って いたこのポスト。 「あぁ…本当は内緒にしろって言われてたんだけどよ、 まぁいいだろ。」 「そうなんですか…。」 「あのデータ男に買われてるって相当自信になるだろ?俺より よっぽど客観的に部内を見てるからなぁ。」 「俺、やる気出てきました!」 「そっか!俺じゃ金田のこと客観的に見れないから… ってどこ打ってるんだよ!!」 「すみませんっ!拾ってきます!」 先輩の言葉に力が入りすぎて、明後日の方向に飛んでいった ボールを追いかけながら、コート脇のちょっとした林みたいな 場所へ慌てて走っていく。 今顔を見られたら情けないんだろうなぁってホッとしたのも つかの間、背後から枯れ葉を踏みしめる音が聞こえて振り返ると、 すぐ傍に赤澤先輩の顔があった。 「ほらな、一人で頑張りすぎなんだよ金田は。」 そう言うとしゃがみ込んでボールを捜してくれる。 「す…すみません。」 「そうじゃないだろ。ほんと知り合ったばっかりの頃に戻ってるぞ おまえ。」 眉をしかめてまっすぐこちらを見る、その視線が苦手だったんだ よなぁ。 制服きちんと着ないし、長髪だし、日焼けしていて明らかに俺とは 話があわないようなタイプで。 「あ…ありがとうございます!!」 「そうそう!金田最初俺が何言っても謝っててさ、あれは正直 悲しかった…。」 わざと大きく肩を落とすと、背を向けて向こう側を捜す先輩。 「あの、年上の人と話すのって緊張するじゃないですか。」 「緊張するタイプじゃないだろ。敬語つかっても言いたいこと ハッキリ言う奴だよな。」 見透かしたように言う部長が怖くて、思わず地面に視線を落とす。 「…その人意識…しちゃうと…駄目じゃない ですか?」 「あぁ…あぁっ!?」 「部長にとっては何十人って部員のうちの一人でも、俺にとっては 部長は赤澤部長しかいないなぁとか…。でも今日話聞いて、 考えが変わりましたから!」 「あ…うん。」 「これからは、頼もしいニ年生と可愛い一年生を引っ張る金田 部長で頑張りますからね!赤澤先輩っ。」 拳を握って、一気に言い終えて顔を上げると。 「…応援してるからな。ほら行くぞ。」 ボソッと囁くと、赤澤先輩は俺の掌にボールを落とした。 普段はその涼しい目元や形のいい眉毛が、絶えず喜怒哀楽を表しているのに、その時の先輩の気持ちは読み取るのが難しかった。 さっきのは俺なりの、甘かった自分との決別宣言のつもりなんだけれど、でも決して赤澤先輩との思い出は、色褪せることはない。 過去を大事に今を頑張るって、どうやったらうまく伝えられるのかな。 「すっかり暗くなったなぁ…金田んちの家族待ってるん だろ?」 「今日はどっちも仕事で遅いんで…。弟は友達の家ですし。」 日が落ちるのが早いこの季節、橙から藍色へとグラデーションに なる空を眺めながら、帰り道のコンビニについ習慣で入ると、 赤澤先輩はデザートが置いてある冷蔵ケースの方へ一目散だった。 「…あった!すげぇ丁度二人分!!」 「へ?あぁ…。」 先輩が手にしたのは、苺のショートケーキがニ個入ったパック。 それを買い物かごに入れると、店内を物色し始めた。 「あとは肉と…一応これも買っとくか。」 シャンメリー、紙コップも放り込むと、最後にレジ前に行き、 から揚げを注文した。 「金ないからこれで勘弁な。あ、フォーク下さい。」 そう言うと会計を済ませ、出口へ向かう。 「あの、先輩…?」 「可愛い彼女じゃなくて悪いけど、ほら…なんだ、一人よりは 二人の方が。」 「あ…ありがとうございます!先輩は充分可愛いですよ!」 気付いたら思わず手を握ってしまっていて、慌てて振りほどこうと すると、 「目ぇおかしいんじゃねぇの?今日手袋忘れたから、公園までな。 ほら。」 鼻をすすって、歩き出す先輩。 あの大きな手の温かさ、ずっと忘れないと思う。 大事な人に素直に感謝できるのがクリスマスなら、こんな日も 悪くない。 優しくされるのは慣れないけれど、慣れすぎて「ありがとう。」 を言えない人間にはなりたくないから。 こんな気持ちになれるなら、神様を少しだけ信じてもいいかな。 |