観月の誕生日話
ひっきりなしに鳴る野村の携帯に、不二の額には青筋が浮かんでいた。
「…ダメだよ、赤澤に財布持たせたら!その金額でちゃんと全部買ってきて…っておーい金田!」
そんな不二にお構いなしに、野村は窓際まで行くとしきりに携帯を振っている。

「どうせ赤澤部長が暴走しちゃったんじゃないッスか?」
折り紙をハサミで切りながら、不二は溜息をつく。
「まぁね。だからお目付け役で金田を行かせたんだ。木更津には柳沢をつけたんだ。僕のシナリオは完璧ですからね。」
野村は振り返ると眼鏡をクイ、とあげた。
「…んふ。」
「んふ。」
二人はこの作戦で「ラジャー!」を意味する、観月の笑いを真似して顎をつかんだ。

赤澤は先陣を切るには向いているが、実際のところ部活は観月の頭脳があってからこそ成り立っている。
その観月が主役とあっては、と、木更津が野村を推したことから、司令塔をこなしているのだ。
野村は、木更津が面倒だからプラス、柳沢と一緒にいたい理由が最大だとわかっていたが、そこで怒るのも面倒で引き受けていた。

赤澤と金田は食料の買い出し、柳沢と木更津はプレゼントの調達、野村は不二と残って部屋の飾りつけ、というのが、この観月誕生日を祝う作戦だった。
学校から一番近い赤澤邸を借りて、一日遅れであるが週末に主役をここまで呼び出す作戦である。
地理に詳しい赤澤が出かけるのはもっともで、どんな状況にも対応できるよう、野村がここにいるのも納得がいく。
ただ、何が悲しくて赤澤の部屋の片付けをしなくてはならないのか、不二は腑に落ちなかった。
野村が言うには、主役の性格上早めに着くこともありうるから、その時自分がここにいれば最悪の状況は免れる、ということだった。
この意味もよくわからない。
部屋に散らばる靴下をつまみ上げながら、何日も前からわかっているのに全く片付けようとしない、よくいえば飾らない、正直にいうならだらしない部長に心の中で悪態をついた。
だが、観月がこの部屋に入るのに、赤澤の部屋を綺麗にするという条件に執拗にこだわっていたという、野村の説明はわかる。

「はい、もしもし、木更津?え?バラの色?アイツ純白が好きらしいよ。あ〜、木更津もわかるんだ?あは、自分色に染めたいってヤツ?お互い苦労してそうだけどね。」
今度は木更津から花の色の相談を受けているらしい野村は、そこまでいうと不二をちらっと見て、不敵な笑みを浮かべる。
幸いにして、不二は背中を向けて、折り紙で作った輪っかを繋げる作業に熱中していたため、怒ることはなかった。

「ふぅ。お裕太、早いなぁ。」
電話を終えた野村は、裕太の前に腰を下ろすと、ティッシュを屏風型に織り始めた。
「それより部長達、大丈夫なんですか?」
「まぁ、赤澤だからいざって時の力に期待だね。もう一つのダブルスは、木更津が変な気起こしてなきゃ、順調だろうし。」
真ん中を輪ゴムでクルクルと止め、器用な手付きでそれを広げていくと花になる。
不二は思わず見惚れた。
「…変な気?」
「あ、いいのいいの。裕太はそのままでいて。」
怪訝な声を出した不二を見上げると、自分の手元に視線が注がれている。
野村は照れ隠しにそれをポンと投げると、次を作ろうとボックスに手を伸ばした。
「はぁ…。」
納得が行かないまま、それでも気付かれた恥ずかしさで、半分ぶっきらぼうに返事をしながら、後ろに手を伸ばしベッドに寄りかかる。
と、不二の指先に何かが触れた。
「…ん?」
そのままずるずると引き出し、目の前にかざして固まった。
「あはは、赤澤随分派手なパンツ履いてるなぁ〜。」
「…これ、洗ったんですかね…。」
遠くに放り投げると、不二はうなだれた。



途中二言三言、言葉は交わすが黙々と作業をしていく、それはいつも悪態をつきあっている二人には、少し照れ臭いが悪いものではなかった。
「案外早く終ったな。裕太ってやっぱり、集中力あるよなぁ。」
「あ、どうもッス。」
部屋の真ん中に立ち、壁にかけた手作りの飾りを見回しながら、野村と不二は満足そうに笑顔を交わした。
そこへ家主と後輩がドタドタと階段を上がってくる。
「うぉ、これ探してたんだよな。わりぃ金田、これ洗濯機につっこんで来い。」
「赤澤(部長)!」
器用に足で靴下とパンツを掴み上げる赤澤に、心の中で絶対忘れてたくせに、と野村と不二がツッコミを入れるのをよそに、当の人物は後輩の背中を無理矢理押した。
廊下の隅で戸惑っている金田をよそに、二人は同時に溜息をついた。



ほどなくして柳沢達も戻ってきた。
階下から言い争うというよりも、柳沢が一方的に怒っている声が聞こえてくる。
「…だから、仕方ないんだよ。慎也とバラっていう絵があまりにも面白くってさぁ。」
「お!面白いって…、酷いだーね!だからって、こんな…。」
「お、なーに乗っけてんだ?罰ゲームか?」
鍵を開けて一緒に上ってくる赤澤が火を注いだところで、部屋のドアが開いた。
そこには耳の上に、茎から下を切り落としたバラの花を、丁寧にピンで留められた柳沢がいる。
「淳が、目を閉じろって、言ったから!」
両拳を握って肩を震わせている柳沢に、木更津は微笑んだ。
「大丈夫だよ。他の人がどう思おうと、俺は好きだから。」
「僕も、アリかな。」
同意する野村のセンスに不二が首を捻っていると、赤澤は間髪入れずに、フォローになっているのかさえ微妙なそれらを台無しにする。
「なんだおまえら、物好きだなぁ。あっはっは!」
泣きつく柳沢とあやす木更津を見て、野村はまた不敵な笑みを浮かべた。
そんなやりとりを前に、不二は金田から注がれる、諦め半分の引きつり笑顔に、付き合うしかなかった。



そこからは司令塔の的確な指示により、どうにかして誕生会らしい準備が整った。
中学生男子なので、ケーキを手作りはできなかったが、せめて形だけでも、というのなら美談だが、実際は「赤澤の作ったものでお腹を下すぐらいでしたら、○○の××をお願いします。」と指定が入ったからだ。
不二は今でも、インターネットでその店のホームページを見た時、野村が小さく呟いた、「…高っ…。」という言葉が忘れられない。



ご馳走を目の前にして、はやる気持ちを抑えることもせず、「腹減った〜。もう食っちまおうぜ。なぁ、金田!」とフォーク片手に床で転がる赤澤や、それをなだめる金田、部屋の端で体育座りをしていじける柳沢と、それを弄ぶ木更津を横目で見ながら、不二は観月の到着だけが支えだった。
そこへ、チャイムの音が鳴り響いた。

「裕太だけが頼りなんだ、よろしくお出迎え。」
野村にそう言われてはと、不二は腰を上げた。
「あ、裕太、これ持って行って。お出迎えの花。」
「…んふ。」
木更津に手渡された一輪の白いバラを手にして、不二は階段を駆け下りた。



「…お待たせしました!いらっしゃいませ、観月さん。」
鍵を解除し内側から扉を開けると、そこには不二が手にしていた花と同じ柄のシャツを着て、にっこりと微笑む観月の姿があった。
「お招きありがとうございます、裕太くん。おやおや、そんなに慌てて出てこなくても…汗かいてますよ。」
綺麗にアイロンのかかったハンカチを、不二の額に押し当てる。
半分は見慣れたつもりのその服装に冷や汗をかいたのだが、不二は主賓の機嫌を損ねるような真似はしない。
「あ、ありがとうございます。観月さん、お誕生日おめでとうッス。これ…。」
おずおずとバラを差し出すと、その手首につかまったまま、観月は家に上がった。
「お招きありがとう。裕太くん、ゲストを迎えたら、手の甲にキスをするものなんですよ。」
「え、そうなんスか?じゃあ…。」
疑うこともせずに、不二は差し出されたそこへちゅ、と唇を押し付けた。
そのままゆっくりと観月を見上げる。
「こう…で、いいですか?」
「ええ。ついでに白いバラには、『私はあなたにふさわしい』ですとか『尊敬』って花言葉があるんですよ。随分と情熱的なお出迎えですね。」
満足そうに笑うと、観月は裕太の頬にキスをする。
「あとでちゃんと、プレゼントをゆっくり戴きますね、裕太くん。」
「え、観月さん?」
見る見るうちに赤く染まる頬を押えながら、裕太はキョロキョロした。
そして二階から、携帯のカメラを向けている野村を発見する。
あいにく観月は脱いだ靴を揃えていて、気付いていない。
『やるなぁ、弟くん!』
野村の口がそう言っているように思えて、不二は先ほどまで野村に感じた「見直した」という気持ちを前言撤回しながら、脱力した。



「どうしました?裕太くん。」
観月が振り向いた時には野村は部屋に引っ込んでおり、苦手な愛想笑いを浮かべることしか、できなかった。
「いえ、何でも。」
不二は主賓の機嫌を損ねるような真似はしない。
「そうですか。もう一つ教えますと裕太くん、階段を上る時は、手を引いて下さいますか?」
「…んふ。あ!いや…。」
思わず作戦の癖が出てしまい、誤魔化す方法はないものかと、不二はもう一度観月の手をとり、そこへ口付けた。
「わかりました…って観月さん?」
その場へ座り込む観月に、不二は早くもこの作戦は失敗したと落ち込んだ。
それでも、観月の意外な素顔を見られたという、喜びも入り混じって。



ドアを開けるとクラッカーを鳴らして出迎えられ、耳を塞いで「近所迷惑ですよ。」と言いながらも、嬉しそうに笑う観月に、不二の口元も自然と綻んだ。



「ハッピーバースデー・ディア・はじめ!」


ホーム メニュー