WHAT I WANT
「あ、裕太くん。今日は早かったんですね。」
いつものように月曜日の四時間目、体育の授業を終えた裕太が、着替えを済ませると一目散に食堂に駆け込んできた。
いつもは二人で僕達の分まで席をとっているのだけれど、この曜日だけは金田一人に任せてしまっているため、席の上には彼のノートやらペンケースが散らばっていた。
今日はその次に僕が来たらしく、他の奴らの姿は見当たらない。

「観月さんどうもっす。金田は?」
「僕が来たんで先に買いに行ってもらいました。裕太くんもよかったら先に行って来て下さい。お腹空いたでしょう?」

僕が微笑むと、裕太は腹の音が鳴らないよう、必死で力を込めたみたいだ。
身体が強張っているもの。
君が次に見せるであろう仕草くらい、たやすく想像出来るんだよ。

栗色がかった短い髪の毛が、いつもよりしっとりとしていて、額に浮かんだ 汗を手の甲で拭う裕太。
その滴が作る道筋を、上気した頬を、ボタンを開けてシャツの襟元をせわしなそうに動かす仕草を。
いつもより露になったうなじや鎖骨を。
この目に捉えられても、君はまだ笑って僕を見つめ返してくれる。

いつか裕太のテニスどころか、裕太自身まで僕の思い通りに支配してやりたいという黒いシミが、僕の中で消えなくなってきていること。
僕が、君のそのしどけない姿から、何を想像しているかということ。

君に知られてはいけないし、君が知ろうともしないもの。

君の純粋でひたむきなところを、僕が、うちの部員達のように、羨みながらも真っ直ぐに受け止めてあげられたら。
もしかしたら違う未来が訪れるかもしれないね。

君と、この僕にも。

君は僕の征服欲を満たしてくれそうなタイプだけれど、そうやって何でもない顔で僕を傷付けていることに、そろそろ気付いてもいい筈だよ?

「いえ…あの、観月さん、明日…。」
「裕太くん、どうしました?」
部活中は赤澤にどんなに怒鳴られても、僕が君のプレイになかなか納得せずに、何度も何度も同じことを繰り返し練習させたって、負けん気の強さを発揮して堂々と立ち向かってくる裕太だけれど、普段二人っきりになるといまだに緊張の糸が解けないみたいだね。

「あの…。」
さすがに僕は赤澤みたいに、よく言えば進んで悩みを聞いてやるような、はっきり言えば、相手の心に土足で入っていくような真似は出来ないから。
君も一線引かれてるって、どこかで理解してるんでしょう?

今なら僕も、この胸に渦巻く感情が、単なるテニスへのフラストレーションで片付けられそうだから。
君に教えた技、勝利に徹した冷酷なマネージャーの酷い仕打ちって悲話で完結出来るでしょう?
僕は悪役になるのに酔っていたただの間抜け、君は僕を憎んで、君の本当に戻りたいあの場所へ戻って行く。
ただ、それまでの我慢だって話。

僕は君がいなくなることではなくて。
君がいなくなった後の、自分がどうなるかが怖いだけ。

君に望んではいけないし、君が欲しがるはずもないもの。

「明日…?」
君が皆に言われて僕を、誕生日祝いの会に誘いに来ることくらい予測するのは簡単だったから、裕太の言葉の続きはわかりきっていた。

「明日、観月さんお誕生日ですよね?それで…。」
「裕太くん、お姉さん直伝のケーキを焼いてくれるんですか?」
裕太が僕の為に何かをする。
それはそれで、確かに僕の望むこと。

でも、一つ手に入れると、一つ味を占めると、終わりがまた一歩近付くもの。

「あの…ほんの少しでいいんですけど、二人きりになれる時間を貰えませんか?」
そう言うと君は、照れ臭そうに、首筋に手をやる。
「いいですよ。いつがいいでんす?」
「観月さんと話ができれば…今日の夜とかでも…。」
短く刈った髪の生え際を掻きながら、視線を彷徨わせる裕太。

「あ、皆でお祝いもします…って言っちゃってよかったのかなぁ。」
「そんなことないですよ。楽しみにしてますね。」
僕の好きな髪から伝う君の滴とは違う、厭な汗をかきそうになる。
「赤澤に、少し外してくれるよう言いますから、その間にでも僕の部屋に来て下さい。」
僕はそう言うと、何事もなかったように、ティーカップを口元に運んだ。

「はい、ありがとうございます!」
屈託なく笑う裕太。その後すぐ金田や、他の部員達もやって来たので、自然と二人の会話は終わった。

正直、助かった…。
誰にも僕の持った紅茶に小波が立っている訳を、悟られたくない。

君から何かを望み始めたら、僕のシナリオが狂い出すから。



「何を企んでんだ?観月。」

放課後部室で赤澤に今晩の件を切り出すと、この部長は真剣な面持ちでそう 切り返す。
「何がです?企むなんて人聞きの悪い。」
金田からどんな想いを寄せられているのか、少しも気付かない割に、人間関係には意外に目が行き届くから、厄介だ。

望まれて、焦がれられる立場の人間に、自分の行為を咎められる。それが僕の癪に障るってことを、いい加減覚えてくれないのかね、この部長は。

「裕太に相談されたぞ。観月が最近よそよそしいってさ。」
赤澤はロッカーに背中を預けると、腕を組んで僕の言葉を促す。
馴れ合うのが嫌いな性分だから、いつ裕太と僕がそれ程仲睦まじくなったのか、こちらには記憶がないけれど、裕太の方がそこまで思い詰めているとは計算外だった。
種類は違えど裕太に僕を意識されたのは、これが初めてのことかも知れない。

「すみません。最近都大会に向けて色々調査中でして…。」
「おまえが素直に謝るなんて、これから雨でも降るんじゃないのか?」
窓の外に目をやると、赤澤はラケットとタオルをバッグから取り出し、ドアの方へ向かう。

赤澤に厭味を言われるなんてよっぽどのことだったけれど、自分の気持ちを偽ることをしないこの手の人間に、何を言っても無駄な気がする。
僕の言い訳を、深く追求しないでいてくれるのは、赤澤なりの優しさなのか、単に意気地のない僕を軽蔑しているのか。

「明日誕生日だろ?1日位正直になってやれって。」
「裕太くんにですか?」
「じゃ、金田と遊んでてやるから。俺が裕太達の部屋に行けばいいんだろ?おまえも早くコートに来いよ!」
赤澤は僕の問い掛けに答えることなく、出て行った。
最後にこちらを見た目が、これ以上わかりきったことを聞くなよと釘をさしているように見えた。

君の行動、君の仕草、君のテニス。
この目で捉えて予測出来るもの。

君の気持ち、君の想いの行方、君自身全て。
僕がいつまでも掴み損ねているもの。

明日だけでなく、ずっとずっと僕が一番欲しいもの。


ホーム メニュー