ここだよな
「久しぶりに来たなぁ…懐かしい。やっぱりなんか、落ち着くな。」
南は、肩からかけたバッグを、そっとベンチに置いた。
部活を引退したから、前より軽い音がする。
それでも、ずっと大事にそのバッグを使っている、そんな南が嬉しかった。
ベンチに深く腰掛けると、木製のそれは、ギシッと軋む。

学校から駅までの帰り道の途中にある、何てことのない公園。
住宅街の中にあるから、小さい子供向けの遊具が揃っていて、きっと昼間は笑い声が絶えないんだろう。
いつも部活帰りの遅い時間にしか、寄ることがなかったけれど。

「あぁ、そうだな。」
俺も隣りに座ると、空を見上げた。
今まさに、オレンジの夕暮れが、漆黒と交じり合おうとしているところだった。
秋も深まり、冬ももうすぐそこまできている。思ったよりも時間の流れは早い。

きっと、この一瞬だって、戻ってこないから、やり直せないから、記憶の中で美化されるものって多いと思う。
辛いことは忘れるように、人間の脳はできているのだから。
多分そんなことを口に出したら、俺のすぐ隣りにいる人は、頬を膨らまして、その豪快な眉毛を吊り上げるんだろう。
俺のことを親父くさいと言うけれど、南の説教くささも相当だと思う。

ずっと、隣りにいられたら嬉しい。
君の視線は常に、未来を向いていて、もうこの場所だって、想い出の一つになっている。
ずっと、一緒にいられたら。
多分そんなことを口に出したら、「いられたら」じゃなくて、「いる」もんなんだって、例の調子で怒られるんだろう。
君の中で、当たり前になっていることに、とても臆病なのは、自分の方。

その今を、危なっかしい程真面目に生きている君が好きで、一緒にテニスを頑張るのが楽しかった。
一生懸命も、悪くはないよな。

例え「一緒にいる」という意味が、俺と南の中で違っていたとしたって、せっかく部長の役目を終えて、身軽になった君に、また重いものを背負わせたくは、ないからね。

「東方は、高校行ってもテニスするのか?何か、とてつもなく頭のいい学校に行きそうだけど。」
膝の上で手を組むと、探るようにちらっとこっちを見て、そう訊ねてくる南。

「あぁ。だって俺達、高校行ってもダブルス組むんだろう?」
自然な表情を心がけて、そう笑い返すと、南の口元が緩んだ。

「そうだよな!」
うんうんと、一人で何度か頷くと、「何か飲み物買ってくる。」と立ち上がって走って行く。耳が赤いのは、まぎれもなく照れている証拠。

その南の後ろ姿を見送りながら、以前ここに来た時のことを思い出す。

人前どころか、俺の前でも滅多に泣かない君が、このベンチに涙の染みを作ったこと。
そんな君が、いつもよりずっとあやうく見えて、咄嗟に腕を伸ばしかけたこと。
それを君が、跳ね除けたこと。
そうやって立ち直っていく君が、美しく見えたこと。

全部、この場所が知っている。

冷めたふりをしても、いつまでも想い出にしがみついているのは、実は自分かもしれない。

それでも、君が描いた未来に、俺がいてよかった。

だから、何気ない顔をして、当たり前だって顔をして、南の隣りにいるんだよ。
ここで一緒に過ごした季節も、感じた風も、何気ない風景も、全部大切だけど。
君が自分という人間を求めてくれる時に、傍にいる。
それが一番、何よりも大事。

そんなことを口に出したら、自分の時間を大切にしろって、また君は怒るから、黙ってるけれど、本当は怒らせるの、好きなんだよな。
自分のこと大事に思ってくれなかったら、怒るなんて、余計な力を使わないだろう?
南が俺のために、何かしてくれる。
例え勘違いでも、そう考えると、一人幸せになれるから。

君の望む、対等な人間でいられるように。
君に相応しい、人間になれるように。
何かあったら、またここに来るのが、自分であるように。

君のためではなくて、自分のために。
勇気と呼べるかわからない、逃げかもしれない、親友という立場で、俺も頑張るよ。

だから、どうか、これからも、ここで。
俺が真顔で言っていることが、全て冗談だと笑い飛ばして。

次に、この場所で、あの時みたいに、君が涙を堪えていたら。
大嫌いな自分の姿を、俺だけに見せてくれたら。

そうしたら---

いつまでも、南にとって落ち着く場所である東方を演じるつもりは、俺には、本当は、ないのだから。


ホーム メニュー