朝は晴れ渡っていた空も、6時間目が終わる頃には、灰色の厚いカーテンにその光を遮られていた。
開いていた教室の窓の外から湿った空気の匂いがして、硝子越しに天を仰ぐ。

テスト前期間で、放課後の練習は休みだと決まっていたが、何となくまっすぐ家に帰るのは惜しい気がして、南はこの後の行く先を考えていた。
帰って勉学に励めという、そのための時間だとは当然わかっていても、無駄に思えるような行為も、実はそうでないことを、何となくでもわかるよう、 教えてくれた人の顔が思い浮かんだ。

視線を黒板に戻すと、天からの恵みが訪れ始めた音。
教師が背中を見せている隙を見計らって、再び窓を見やる。
窓際の席からは、校舎のすぐ傍まで迫る木々の葉に、零れ落ちる滴。
静まりかえった空間に、雨音とチョークが滑る音だけが響き渡る。

周りは大抵、「雨は嫌いだ。」と言い、夏生まれなこともあって、南もやはり、太陽が好きだった。
今でも心から歓迎ではない。
雲ひとつない晴れ渡った空の下では、開放感に浸れるからだ。

それでも、この雨を恵みだと思えるのが、ちょっとした心境の変化なら。

終業のチャイムが鳴ると同時に、教科書やらノートを乱暴にバッグにしまい込むと、慌てて教室を飛び出した。

「あ、いらっしゃい、南。そんなに慌てて珍しいな。」
軒下で、傘についた雨を払いながら、同じようにして空を見上げている東方。
部室のドアの前に、いてほしかったような、それでもいたことに少々驚く人物がいて、南は呼吸を整えることが上手にできない。
白い制服の裾に跳ねた染みを、東方が一瞬見てそう言ったことが、気恥ずかしかった。
差していた水色のビニール製の傘を、乱暴に何度か開閉すると、飛沫が散る。

「俺が今日来なかったらどうすんだよ。鍵!」
南は思わず語尾を荒げて、既に手にしていた部室の鍵を投げ渡す。
短く放物線を描いたそれを、難なく受け止めると、鍵穴に差し込みながら、一瞬首を傾げる東方。

押し黙ったままの東方と、それを見て、してしまった質問を取り消したい南。
二人の耳に入るのは、雨脚を強めたその音だけ。
南は東方の視線を避けるように、グラウンドの水溜りに、幾重となく広がる波紋を見つめていた。

「その時はその時で、考えればいいじゃないか。もっともそんなこと、考えもしなかったけどさ。現に南もここに来たわけだし。」
カチャリ。聞き慣れた金属音に南が振り返ると、東方は手にした透明のビニール傘の先端で、コンクリートの床を、何度か軽く叩く。
南のした質問の意図を、流すわけでも、茶化すわけでもなく、はぐらかすわけでもなく。
ただ淡々と、しかし言葉を選びながら話す相手を見て、今日ここに足が向かった理由が脳裏に蘇ってくる。

いつかの大会の前、今日のような天気が何日も続き、思うように進まない練習で、捌けることなく溜まる一方の感情を、同じように東方にぶつけてしまったことがあった。

そんな時、怒るわけでも、責めるわけでも、戸惑うわけでもなく。
背の高い南よりさらに大きなその人は、南の頭を、大きな手で自分の肩口に押し当てると、

「こういうのを、恵みの雨って考えたら?たまには小休止もいいじゃないか。」
ぽつりとそう言ったのだった。

何気ない一言だったが、南にはまさに、乾いた大地に染み込むような声に聞こえたから。
それ以来、大好きとまではいかなくとも、以前のように心の中から、雨という言葉を否定的にはじき出すような真似は、しなくなった。

それをただ、何となく。でも今日伝えたくて。

飛び散った滴を、名残惜しそうに見つめていると、東方が自分と同じことを考えていたことが嬉しくなった南は、つい先ほどまでの気まずさが、綺麗に洗い流されたことを知る。

雨を吸い込んで重くなったスニーカーを脱ぎ捨てた、あの日に言いたかったこと。

「…そうだな。雨のち晴れって言うもんな。サンキューな、東方。」
「ん?…あぁ、あのことな。」
「そう、そのこと!」

わかってほしかったような、それでもわかってくれたことに少々驚いて、でも嬉しくて。
思わず顔を見合わせて、東方からも笑みが零れる。

今度雨が降ったら、自分が傘を差し出せたらいい。
どんな模様でも構わないんだ。
雨をしのいでいけなんて、大袈裟なことは言えないけれど。

お互いの手に持つ、似たような傘から、ポタポタ零れる水滴。
今はただ、心地よい雨音。


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