ordinary days |
「はぁー。俺真面目にハゲるかもなぁ。」 俺が放課後、いつものように教室に迎えに行くと、南は窓際の 席で机に両肘をついて、こめかみを、正確には生え際をそっと 押さえていた。 「君、日本語の使い方間違ってるよ。ところで南、まだ部活 行かないのか?何か書いてるみたいだけど…。」 「あ、悪い。これ、委員会の報告書。今日中に提出しないと いけないからさ、先行っといて。」 ガタイに似合わない、小さくて可愛らしい、しかし几帳面な字 でその報告書とやらを書き連ねながら、ダブルスの相棒は引き つった笑いを見せた。 真面目といえば聞こえはいいが、頑固でおまけに不器用で、 いつも自分の許容量以上の仕事を請け負ってしまう、損な性格 をしている。 明らかに大変なのに、その頑固さが災いして、一度決めたら 誰の手も借りずに最後まで何事もやり遂げてしまう。 個性豊かなこの部において、一番の苦労人でおまけに千石 には、俺と合わせて「地味'S」なんて不名誉なあだ名を つけられるくらい、縁の下の力持ち的存在。 決して虐げられている訳ではないのに、何故かいつも背中に悲壮感が漂っている。 「千石は?あいつも委員だろ?」 「部活の方頼んだ。副部長だし。東方手伝ってやってよ。」 とか何とか言って、あの口車に乗せられて、気付いたら こっちをやる羽目に陥ったであろうことは見え見えだった。 存在感のある、形の良い眉毛が思い切り八の字を示している。 「あいつもあれで、結構人望あるから大丈夫じゃないのか? 南の方こそ、何か手伝えることあるか?」 俺は南の前の席の椅子を引き出すと、反対向きでそこにまた がった。 背もたれに肘をつくと、遠くのテニスコートを見る。 「…やっぱり俺の前髪キテるんだろ?おまえは優しい から遠回しに…。」 長身の南より、さらに背が高い俺に見下ろされて、威圧感を 感じているようである。 「だったら南より俺の髪型の方が、確率的に高いかと思うぞ。 親父を見てると確定かと。」 うつむいてる南を覗き込むと、単に髪の毛を気にしていると いうよりは、無意識に甘えさせてという雰囲気を漂わせて いる、といった方が正しかった。 ただ、弱音を吐く自分を許せないこいつとは、気付いたら いつも、漫才のような掛け合いでしか話を進められない。 だから悲しいかな俺も、こいつの何気ない言葉で一喜一憂する本心を隠して、冷静なふりをする習慣がついてしまっている。 「いいんだよ東方は、最悪ハゲたって面構えがいいんだから。 俺なんてこの前髪が唯一の特徴なのに…。」 「…ストレートにありがとう。部長やってる時点で大変 なのに、委員もこなせるのって充分、魅力ある人間なんじゃ ないのか?愛しいっていうかさ。」 さすがにここまでストレートに人を、しかも目の前の南 健太郎を褒めるのは勇気が要ったが、こうでも言わなくては、 己に厳しいこいつは、どこまでも必要以上に頑張ってしまう のだ。 まぁ、そんな不器用なところが何というか、放っておけ なかったりもする、というか、可愛い…のは置いておいて。 南はハッと顔を上げると、凛々しい眉毛を吊り上げて、 「かっ…可愛いとか言うなっ!おまえまで千石みたいな こと…!!」 自慢の額から首筋まで真っ赤にして、大きい身体を震わせて 怒っている。 可愛いなんて口に出して言った覚えはないが、しょっちゅうこいつや 亜久津をからかって反応を楽しんでいる千石の気持ちが、 わかる気がした。 ただ、南に関しては、その役目は出来たら俺一人に任せて くれるとありがたい。 面と向かって喧嘩を売る度胸もそんな技量も持ち合わせていないけれど。 「そんな元気あるんだったら、心配ないか。じゃ、先行って るな。」 すきをついて南の額を叩くと、俺は立ち上がった。 「ちゃんと屋上に寄って、亜久津も捕まえてけよ!あいつ、 東方の言うことは聞くからな…。」 額をさすりながら口をとがらせて言うこのさまのどこが、 特徴ないっていうんだろうか。 ついでに口うるさいところも、俺だったら歓迎なんだけどな。 正確に言うと、俺は面倒なことを避けてるだけで、多分亜久津もその距離を置いた付き合い方が都合いいだけ。 …15歳でここまで冷めてるのって、君からしたら許せない タイプのはず。 「千石が連れてったんじゃないのか?」 「煙が上がってる。ついでに煙草は控えろ…っつっても 聞かないだろうから、もう少し場所変えるようにってな。」 目の前の報告書だけでもいっぱいいっぱいなはずなのに、 律儀に屋上までチェックしていたとは。俺は改めて南の観察眼とプロ意識に驚かされたというか、呆れたというか。 だったら俺のこの仏頂面も、早く見破ってくれよな。なんて言ったら他力本願だって怒られるに違いない。 「それは、部長命令なわけ?」 最後まで肩の力を抜かないこいつに、わざと意地悪な質問をぶつける。 「…あいつの楽しみ奪う権限まで、部長の俺にあるわけ ないだろ。」 「それじゃ個人的に、ってことで。なるべく早く来てな、 健太郎ちゃん。」 これが俺の誇る山吹中テニス部の部長、南健太郎という男 なのである。 時おりその生真面目さが可愛さ余ってなんたらに変わるが、 基本的に愛すべきキャラクター。 俺の考えた通りの答えに思わず笑い出しそうになるのを 抑えながら、南の教室を後にした。 「健太郎ちゃんとか言うなー!雅みんって呼ぶぞーっ!!」 後ろから叫ぶ声に、この背格好でそのあだ名はいただけない なぁと心の中でつっこみを入れつつ、屋上へ向かう俺の 足取りは、いつもより軽かったに違いない。 案の定亜久津には気味悪がられたが、俺の頭の中は、いつに なく南のことでいっぱいだった。 「片割れと何かあったのかよ…。」 ため息をつくと、ズボンをはたきながら立ち上がる亜久津 の呆れ顔を見て、「南のためなら馬鹿になるのもいいかも な。」などと言いかけた自分が可笑しくて一人吹き出して いたら、 「…おまえも怖い…。」 そう言い残して、亜久津は消えてしまった。 この感情を何と呼ぶのか、そんなものとっくに知っている けれど、俺にとって今のなんでもない毎日が、一番大事なの である。 |