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南は黒板消し二つを、窓際でパンパンと叩き合わせながら、澄み渡った青空を見上げた。 七月第一週目の土曜日。放課後、期末テストを目前に控えて部活動もないとくれば、大抵の生徒は一目散に自宅を目指すか、図書室などへ行くものである。 運悪く日直が回ってきてしまった、本日生まれの彼は、最新設備が整った校舎が目の前にあるにも関わらず、自分はどうしてこうも原始的なことをしなくてはならないのかと、虚しさを溜息に乗せてそっと吐き出した。 「よし、さっさと片付けますか。」 気分を新たに深く息を吸い込むと、辺りを漂う白煙までが気管支に入り込んで、むせた。涙目になりながら、二度目の溜息をつくと、背中をさする手。 「南、日直の相方はどうした?えーと…、村山って、野球部の?」 黒板の右端にチョークで書かれた、七月三日(土)の下を見ながら、南のダブルスの相方は訊ねた。 「お、サンキュー。アイツ今日風邪で休みなんだよ。こんな時期なのに平気かなぁ?」 教壇へ向かいながら、南が東方を見ると、一呼吸おいてから、返事が戻ってくる。 「…。今引いておけば、来週末には治ってるだろう。」 「そうだよな、よかった。大会も近いって言ってたし。」 七月五日(月)、その下に二人分の名前を書き終えると、南は一歩下がって、掌についた粉を叩き落とした。 「大丈夫、綺麗に書けてるんじゃないかなー。」 教卓に両肘をついて、それを後ろから見ていた東方は頷いて見せる。 「じゃ、帰りますか。」 「帰りますか。」 笑顔を交わして、二人は教室を後にした。 「南、今日はやっぱりまっすぐ帰るのか?」 「そうだなぁ、そういや早く帰ってこいって言われた気もしてたが…。」 背中合わせの位置で、互いの下駄箱からスニーカーを取り出す。 南の方が一足先にそれを履き終えると、同じタイミングで床に置いた東方が、いつまでも座り込んでいる。 「東方、どうした?」 こんな時位しかできないとばかりに、いつも自分がされるよう、彼の頭を撫でながら、彼の右横で同じ視線になってみる。 解けた靴紐を結びながら、口も真一文字に結んだままの東方を気にとめつつ、膝の上で頬杖をついた。 殆どの生徒が下校した後だったため、大きな図体をした二人が通路の真ん中で肩を寄せ合っていても邪魔にはならないのだが、梅雨明け前とはいえ昼間は蒸し暑い。 客観的に見ても暑苦しい構図である。 それでも南は、赤くなったと思えば青ざめたり、口を尖らせてと百面相をする相方が面白くて、額に浮かぶ汗もそのままに、しばらく顔を覗き込んでいた。 いつもは仏頂面とまではいかないが、自分と違ってなかなか感情が読みにくい顔が、一歩も二歩も先を読んでいるような彼が。 南をからかう口実と、全く同じことをしていること。 それに気付いたのが、今日だということ。 「…南、俺、おまえに謝らなくちゃ…。デコ、テカってる。」 やっと重い口を開いたと思うと、東方は照れ臭いのか右手で南の頭を押しやり、左手にハンカチを乗せて手渡す。 「え?東方、何も悪いことしてないぞ!」 左手で額を抑えつつ、綺麗にアイロンがかけられたハンカチを右手に握りながら戸惑う南の横で、東方はガックリとうなだれた。 「いや、俺がしてあげられなかったというか、何て言うのか…その…忘れてきちゃったみたいでさ…。プレゼント…。しかも、玄関に。」 東方は両手の人差し指を合わせると、外側に向かってそれぞれカタカナの「コ」の字と、それを裏返した字、つまり合わせると四角い物体、を描いた。 「ごめん!あぁ〜俺、何やってんだろう…。靴履いてくる時、横に置いたのがまずかった…。」 どうも今朝と同じ体勢になって、その事実に気付いたようだった。 「あぁ、そんな、落ち込むなって。正直今日、初めて触れられたんだよな、母親以外にその話題。」 瞳が泳ぎながらずっと四角を描きつづけている東方の背中を叩くも、南は彼が先程までと同じ東方なのか、その事実を知っていることが、恐らく自分だけだと思うと、自然と顔が緩んでしまう。 「…俺で二人目なのに、おまえ、顔、ニヤけすぎだろう!」 東方は眉をしかめながら、南の背中を叩き返す。ただ、彼はパワーサーバーなため、南は一瞬顔を歪ませた。 「…うん。で、ちなみに、コレ、何だったか訊いてもいいか?」 南が東方の指を触ると、東方はさらに表情を曇らせながら、 「あぁ。清潔好きな南くんに脂とり紙とかね。…タイムリーだろう。」 と返した。 「あ、そうなの。東方くんらしいよな。でも、やっぱり俺達ってさ…。」 「うん。」 「地味―。」 少し間が空いてから、どちらからともなくふき出すと、顔を見合わせた。 「さて、帰りますか。」 「帰りますか。」 この日二度目の、タイミングの重なった笑顔を交わしながら、二人は立ち上がった。 本日は南の乗る方面の電車が先に着いたため、ホームの中ほどで彼から挨拶をする。 「じゃあ、お先。あ、これどうしよう。俺の汗吸っちゃってるんだが、洗濯して返してもいいか?」 ズボンのポケットからおずおずとハンカチを取り出す南を見て、今度は東方の顔が緩んだ。 「そうだなぁ…5日に交換回収ってことで。」 「交換?」 首をひねる南に、東方はまた、一呼吸置いた。 大袈裟に溜息をつきつつも、日直の件を聞かれて、自分が答えた時に見せた瞳と似ていて、南は嬉しくなった。 「…プレゼント。全く南は…。」 東方が何かを言いかけたところで、発車のメロディーが鳴り始めた。 「ん?」 律儀に続きを待っている南の頭上で、ふ、と笑いが漏れる。 「何でもない。あ、誕生日おめでとう、南。じゃ、また来週。」 東方はそう言うと、背中を押した。 「おう、ありがとう。また、5日に。」 照れ臭そうに笑いながら、南はハンカチをポケットにしまうと、手を振り返した。 「あ、それを言ってくれたのは、おまえが初めてだ。東方くん大好きー!」 ドアが閉まりかける寸前、南が冗談半分でそう言うと、ホームに取り残された東方は、腰が抜けたように座り込んだ。 プレゼントのことなんか、彼が教室にやってきた時点でとっくに吹き飛んでいたけれど。 「おめでとう。」だけは、何度言われても嬉しいから。 南は週明け、それでも律儀にプレゼントを持ってくる東方を想像しては、顔が赤くなったり、直後周囲の冷たい視線に青くなったりした。 悔しいので、彼の中ではプレゼントを忘れた罰ゲームだ、ということのままにしてもらおうと、南はまた、東方のハンカチで、汗を拭った。 |