向こうから見たこっち
「別に俺は構わないぞ。」
明らかにふてくされたような、その頬を思い浮かべて、それが一番のプレゼントだなんて思うのは、あちらからしたらどうにも見当違いなんだろう。
東方はそう思いつつも、手短に約束の約束を済ませて電話を切った。
南のプライドの問題云々の前に、簡単に可愛いだなんて、もう言えなくなってしまった。
自分のことに対してまさか、彼にも独占欲があるなんて思ってもみなくて。
それを言ったらまた、怒るのかもしれない。

それでも南も大概、自分のことを買い被り過ぎていると思う。



「わぁ、凄い眺めだな!…見事に男が多い。」
薄暗い、コンクリートの壁に囲まれた階段をのぼりきると、千石は周りをキョロキョロと見回している。
「あんまりフェンスの近くに行くと全体が見えませんから、あっちの方行きましょうよ。」
室町は階段をくだりかけた千石に呼び掛けると、南達を振り返って同意を仰ぐ。
「室町が一番詳しいんだから、俺達はついてくよ。な、東方?」
軽く頷き返しながら、南は視界に広がった青々とした芝生に視線を注いでいる東方を肘で小突く。
「あぁ、そうだな。宜しく室町先輩。」
東方も賛同すると、室町は千石と一緒に歩いて行った。



いつもの他愛無い話の流れから野球の話になり、そこから実際に観に行こうという口約束になるのはいつものことだったが、部を引退した3年生と部活も休みで塾もないという新部長の間に、邪魔するものはなかった。
室町がインターネットで調べてプリントアウトしてきてくれた日程のうち、一番都合がつくのがその日だっただけ。
それにこだわるのもおかしいと思うし、第一当の本人が言い出すのはもっと恥ずかしいこと。

何より南は東方を、「そういうことにはこだわらない」という目でも見ているのだろう、特に「誕生日空けとけ。」などとは言わなかったのだ。
いかにも、ということは何より恥ずかしい。
それでも、もしかしたらただの親友でいた時よりもあやふやな関係に踏み出してしまった二人だから、少しは束縛もしてほしいなどと、寂しさを南のせいにしそうになって、東方は己の欲深さにぞっとした。



一番は改めて約束することの気恥ずかしさだったのかもしれないが、暗黙の了解を破ってしまったという罪を心の底に押し殺して、ものわかりのいい先輩のフリをする、南の横顔を見つめる。

「へぇー。結構風が強いんだなココって。おまえの髪は影響なさそうだが…。」
私服で会うことが妙に照れ臭く、それでも風になびくTシャツの裾には釘付けになって、南のその言葉に、東方は何ごともなかったように視線を上に戻した。
「そうだな。まぁ別に、例え俺の頭がぐしゃぐしゃになっても、千石が面白がるだけだろうな。」
そこには深い意味もなく、ただ自然に思ったことを述べただけだったが、南が予想外の表情を見せたので、東方は首を捻った。

「あ、あぁ、そうだよな。…。」
それだけ言うと南は、視線を外して室町達の後を追って行く。東方も混雑した通路でその特徴ある後ろ姿を見失わないようにしながらも、決して歩幅を広めなかった。



9月とはいえまだ、日中は陽射しも強く、残暑も厳しい。
デーゲームであるがゆえに正午過ぎである。
席に着き、う〜んと伸びをすれば、真上に太陽がいる感覚。
そういう時間をテニス以外の好きなことに費やすことすら、どこか少し贅沢で、かけがえもなくて。

「あ、俺飲み物買ってきます。」
来る途中に寄った駅構内のコンビニで仕入れた飲料水も、気付いたら飲み干されていて、ビニール袋を覗き込むと室町は立ち上がった。
「じゃあ、俺も。」
最後に到着した東方は必然的に通路のすぐ脇の席で、一人で持ちきれないだろうという配慮の元。

「いや、俺が行くよ。こういう日ぐらい主役は座っててくれよな。千石、おまえもだ。」
気の利く後輩に任せっきりというのは落ち着かないのだろうか、寧ろそういう性格なんだろう、南は二人を制すると、隣りでスナック菓子の袋を呑気に平らげている千石の袖を引っ張った。
「はーい。…って南、今なんて言った…?」
その声は、イニングの合い間のキャッチボールが終わり、スタンドに投げ入れられた白球に向けて上がった歓声にかき消されて、室町達も視線をそちらに奪われた。



気付けば間二人分空けて座っている室町と目が合った。
「…もしかして、東方先輩、誕生日…今日でした?」
両膝に拳を置いて遠慮がちに訊ねてくる後輩に、東方は「あぁ。」とだけ短く返事をした。

「すみません、気付かないで…。だからさっき、南先輩の言葉に棘があったんですね。」
「棘?南らしくって優しいんだなぁ、って思ったぞ?」
「…はぁ。南先輩は、もう皆の優しい部長じゃないんですよ?…それにご自分が最近までヤキモキしていたの、忘れたんですか?」
言うだけ無駄だった、と責めるように大袈裟に肩を落とすと、室町は千石の席に置かれた袋を引き寄せた。

「おい室町、何だよ?」
東方が続きを促そうとするも、新しい投手がボールを放り出したので、室町は無言でただ、ポテトチップスを口に運びながら、視線をグラウンドに注いだ。
東方もそれ以上訊くのもはばかられて、脚を組むと野球を見ているポーズをとる。 その投手や対戦相手のことを、持てる知識を総動員して語りつつも、まるで上の空だった。



そうしているうちにほどなくして、南達が戻ってくる。
「お待たせー!東方、前ごめんよ。室町くんは、烏龍茶でよかったんだよね?はい、どうぞ。」
「あ、ありがとうございます。」
片耳でやりとりを聞きながらも、なぜか後ろめたさで東方は南を見られなかった。

「そんなにこのピッチャーって、凄いのか?俺、こっちのリーグはよくわからなくてさ。」
頬に一瞬冷たい水滴の感触。 視界の端に紙コップとこの球場のロゴが入って、東方はサンキュー、と礼を述べてから、それを受け取った。
南の声が上から降ってくるので、一段上の、真後ろの席に座ったらしい。

「あぁ、勝ちパターンだな。球種は少ないんだが、コントロールの良さが持ち味。」
「そっか。…東方、腰、痛いんだろ?いいぞ、よっかかって。」
肩を掴むと、南は東方の上半身を後ろに倒した。 席種の関係上、ここは外野と呼ばれる一番安い場所で、与えられたのは背もたれのない、プラスチックの硬い椅子だった。
長時間座っていると、ただでさえ猫背なそこが、余計丸まってしまう。
それを解消するために左右に腰を捻ったり、手足を伸ばしていたところを、南に見られていたようだった。

南の両脚に支えられて幾分楽になったのだが、日頃このような体勢に慣れていない他に、妙に意識してしまう密着具合がまた気恥ずかしい。
重くないだろうかという心配と、そんなにやわじゃないと怒られそうだから黙っているのと。

「あぁ、ありがとう。何かうちでDVD見る時の恰好と、逆みたいだな、南?」
離れがたいのと、意識を悟られるのが怖いのと。
南が後ろにいるのは自分のどこを見ているのか、それが気になるから、たいてい彼が床に座っていたら少し後ろにいるのが東方にとっての心地いい距離感、というやつだった。
「そう、だな…。」
開放された天上に道筋を残す飛行機と相手チームの応援の声。
ふと顎を反らせば、一足先に訪れた秋を彩るように色付いた、本日二度目のそれ。

「…もう言わないから、野球見るのに専念して?」
無理だとわかっている言葉を言い聞かせると、東方ももう一度ポーズをとった。



「やったね室町くん!今夜は打ち上げだ!このへんにお好み焼き屋さんないの?その前にカラオケかな。」
「千石さん、今日初めてチーム名はおろかリーグ名知ったじゃないですか。」
そう言いつつも満更でもない顔で携帯を開く室町に、ハイタッチをせがむ千石。
浮かれている二人の後を追い、東方達も合流する。

日が落ちてきた球場の周りには赤とんぼが飛んでいた。
ユニフォーム姿のままの子供が父親とキャッチボールをしていたりして、こういう誕生日も悪くないかな、と、隣をのんびり歩いている南を見て東方は、どこか安心した。
「じゃ、あとは若い者同士に任せるってことでいいかな?室町くん。」
「そうですね、南先輩、頼みましたよ!」
「え、おまえ達の方が若いだろ?」
矛先が向いた南は即座に、突っ込むところはそこじゃないと二人揃って言い返されて、頭を掻いた。

「じゃあな、東方お誕生日おめでとう!」
「おめでとうございます。ではでは。」
両手を大きく振りながら、気付けば千石達は遠ざかっていた。
ありがとう、の意味を込めて東方が会釈する横で、南はそっぽを向いている。

「ん?どうした?」
頭を撫でながら覗き込めば、「…おめでとうまで…。」などとブツブツ言っていて、不謹慎ながら目の当たりにしたそれに顔が綻びそうになる。

「南だけができることがあるんだが…。」
「…そんな顔、またするなって!おまえがそんなんだから…。」
「は?」
「いいから!帰るぞ。当日最後に言ってやるからな、おめでとうって。」

予感が確信に変わった時にどうしたらいいのかなんて、未だにわからない。
それも彼を通して自分を見ていたとわかったら、余計に戸惑う。
額をくっつけていつも狭い世界で。

ただわかっているのは、この現象を喜んでもいいという事実と、これから彼に望むことだけ。



「さっきさー、南が真顔で東方でも照れるんだなとか言ってくるんだよ。…ブッ叩いてもよかったのかな?」
「東方先輩も真顔で、南って優しいと言ってましたよ。…何かムカつきました。」


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