反発
「ん?何でもないぞ。」
そう言ったきり背中を向けた彼と帰るこの道が、こんなに長いものだなんて南は思わなかった。



思い返せば今朝、自分があの手をはねのけてから、東方の態度が違ってしまった。
南には心当たりがある。

朝練が終わり、今日は特に反省すべき点もなく、つつがなく部活のメニューを済ませた後、放課後の練習のために済ませておきたいことがあった。
それは、昼休みにでもまたここに立ち寄れば、立ち寄らなくても教室でもできる事務的なことだったが、なるべくなら喧騒から離れて集中できるこの部室がよかった。
南の性格上、早めに練習を切り上げているため、あいにく時間はあった。
本当は、そんなことよりも、昼休みはクラスが違う東方と一緒に食べる予定があったから。
義理堅い相手が自分だけは誰よりも優先してくれることが、南は未だに慣れなかったが、悪い気はしない。
最近は委員会であったり、どちらかの授業の関係であったりで、なかなか時間がとれなかった。
今までは、一緒にいることが当たり前すぎて、こんなことを気にするなんて、南にはそれが不思議な感覚であった。
だが、南から言わせれば、東方にも原因があるのだった。

「もうそれ、終わったのか?」
左向きに顔を上げれば間近に見慣れた顔が、じっと南を見つめてくる。
「あぁうん、帰りに伴田先生に渡せば…。」
腕を伸ばしながら椅子の背もたれに身体を預けると、背中に手の感触。

「じゃあ、行こうか。」
瞬きをしないでじっと見開いた瞳に、見慣れた彼の黒髪が映る。
離れていくそれを見て南は初めて、唇が乾いた。
南の分まで荷物を持つ東方に、変に掠れた声で呼び掛ける。

「あ、俺が持つってば。」
「手塞がるだろ。俺は筆圧強くないですしね、誰かさんと違って。」
うっすらと黒くなった南の制服の左袖を指差してそう言うと、何事もなかったように立ち上がる。
「別にそんな、手が痛くなるぐらいだったら、俺だって直す…。」
「こんな時ぐらい、彼氏面させてくれないか。」
そんなことを直球に言われたのは初めてで、南は伸ばしかけた腕でバッグを引ったくると、部室を後にした。
振り返っても彼がいない。
そこで情けなくて泣きたくなったのは、今に始まったことではないけれど。



置いて帰られたのに、律儀に昼休み、南を迎えに来た彼は、どこも変わりがないように見受けられた。
南とは違い、感情が直結していないように見えて、時折今朝のような行動をとるのだ。
それに動揺する自分が狙いなのか、自然な行動なのか、どちらにしろそこは彼には敵わないと認めざるをえなかった。
そして、そうさせている原因が、今までの自分に多分にあるとも。

いつものように南が嫌がることはしない、優しい彼。
その弁当箱の中にある唐揚げをじっと見つめていたら、「こら。」とでも言いたげな目をしつつも、箸が器用な手付きで口元に運ばれてきて、一瞬互いの関係が昔に戻ったような、そんな気にさせられる。

そこで安心するのは、間違いだともう気付いている。
東方は言ってくれた。
「こうやって同じことをしていても、南の気持ちが向いているか否かで、全然違う。」

全部我慢させていたのは自分。
「南が部のことで我慢してたんだから、俺の言いたいことなんて大したことない。」
彼から素直になる機会を奪っていたのは自分。

本当は独占欲が強いことを知っているのも自分だけ。



マフラーを北風になびかせて、大股で駅まで向かう彼のいつもより曲がった背中を追いかけながら、もしかしたらいつもこんな気持ちにさせていたのだろうかと、南は罪悪感を覚えた。
それと同時に、優越感。もしかしたら、占める割合は。

「…おまえが笑ったからだろ!今日一緒に飯食えるってだけで、あんなに。」
道端で突然南に大声で話しかけられても、気にも留めずに歩いて行く背中。
「だから、さっさと終わらせようって、俺は…!」
そこまで言いかけると、首元が引っ張られる。

「な〜に恥ずかしいこと道端で告白しちゃってるの?」
振り返ると、南のコートのフードを触りながら意味深な笑顔を振り撒く千石がいた。

「…あの人怒らせる勇気あるなんて、さすが相方…いや、彼氏だよねぇ?」
「わざわざ言い直さないでいいから。」
わざとらしく咳ばらいをしつつ、東方を盗み見れば、千石が背中から抱きついていた。
「まっさみちゃ〜ん!南が恐い!」
聞こえよがしにそう大声を出しては頭を撫でられている千石に、南は苦虫を噛み潰す思いがした。
二人はしばらく何かを話していたので南は冬化粧の景色を眺めつつ、どうしたものかと思案を始める。

「彼氏扱いすればいいんじゃない?あいつが素直になったんだから、今度は南の番でしょ?」
「…何が言いたいんだ?」
「だって南、今までだったら東方があんなところでキスしたことに腹立ててる。謝りたいってことは、嬉しかったの裏返しなんじゃない?」
訝しげな視線を煙に巻いて、千石は南に耳打ちした。
「二人のいつもの場所って、あそこの公園でしょ?…。」

反発しているのは、相手に対してではなくて、それを受け入れたい自分に。
裏返せば、---



瞬きをしないでじっと見開かれた瞳に、見慣れた自分の黒髪が映る。
離していくそれを見て南はやっぱり、唇が乾いた。
「なぁ、やっぱり、おかしかったか…?すまん…。」
「ん?何でもないぞ。」
その声は掠れているのに、東方のそこは艶やかに濡れていて、見たこともない笑みで彩られていたから。
今度は自分からすすんで、大人しく彼の後ろをついて行く。



翌日、部室に行く前に職員室により、顧問の伴田に目を通して貰ったプリントを回収した南は、見慣れた背中を二つ発見した。
「なぁ、どうだった?」
「う〜ん、まずいな。クセになりそうで。やっぱり俺のことは後回しでいいよ。それに俺、南を騙すのはどうも…。」
「まったまた、今まで散々騙してたくせに!ま、気付いてないのは本人だけだったけどさ。」



本当は独占欲が強いことを知っているのも彼だけ。
そう信じさせてくれるのなら、と、いつも通りを装って南はおはようを言った。


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