あとすこし |
部室のドアを開けると、遠くの夕陽も沈みそうな色。 暑かった昼間の練習を引きずりそうになる蝉の音と、夜風が運んでくる心地よさ。 南はこんな時、一人じゃなくてよかった、と感じる。 「お疲れさん。じゃあ、帰ろうか。今日はどうする?はい、バッグ。」 部室の鍵を閉めると、後ろから東方が声をかけてきた。 南はこんな時に聞く、彼の声を大好きだ、と感じる。 「サンキュー。俺、今週号買ってないんだが…東方はどうする?」 努めて自然を装いながら、南はバッグを受け取って、肩に担いだ。 理由なんて要らないのに、最近は理由を探してしまう。 「そうだなぁ…俺の好きなパン、うちの近くのコンビニじゃ売ってないから、寄って行くよ。」 「そうか。じゃ、行こう。」 律儀に理由をつけて返してくれる東方に頷くと、並んで歩き出す。 最寄の駅からは互いに逆方向の電車で、一緒に帰るといってもたかがしれている。 言い争いをして沈黙している時には、やたらと長く感じる道。 練習していたコンビネーションプレーが上手にいった帰りには、呆気なく終わる道。 駅前のコンビニに着くと、南は入り口近くのコーナーへ向かった。 右肩に担いだバッグがずり落ちないように、右手でしっかり押さえる。 山積みになっていた目当てのものを、少し罪悪感を感じつつ、腰をかがめて中段あたりから一冊抜き取り、振り向く。 てっきりパンを選んでいると思った東方と視線がばっちりあって、南は思わず「あ。」と声を漏らしてしまう。 「いや、上って皆が読んだものが置いてあるじゃないか。せっかくだし綺麗なものの方がだな…。」 聞かれてもいないのに、言い訳を述べつつ東方のいる陳列棚の傍まで歩いて行く。 「まぁな。俺は南に何を食うか、聞くつもりだけだったんだけどな。」 しれっとした顔で微笑まれて、南は東方の背中を、左手で持っていた雑誌で思い切り叩いた。 「…今日はこれの分しか持ち合わせがないんだよ。早く行くぞ。」 半分本当、半分嘘を口にしながら、レジに向かう。 この瞬間、自分の背中を見て彼が優越感に浸っているであろうことが、悔しいけれども嫌ではなくなってきている。 そんな自分に腹を立てながら。 「左だから思い切りいったんだろう。」 レジで次に並んだ東方に声をかけられて、出しかけた手が止まる。 さっき見たのと同じ、余裕のある笑顔で、下から上へと視線が流れる。 ポケットに片手を入れて見下ろされると、必要以上に身長の差を思い知らされてしまう。 「右だったらあれで済むわけないだろ?」 伏せられた目のラインが大好きだったけれども、見上げる勇気が持てずに、南は冗談を返すのがやっとだった。 「230円です。」 告げられた金額に、南の小銭は十円玉一枚足りなかった。 「すみません、やっぱりやめ…。」 言いかけた南の肩越しに伸ばされる、鈍い色のコイン。 「今週は合併号じゃなかったっけ?俺再来週まで読めないの、いやだなぁ。」 「…すみません、これでお願いします。あ、このままでいいです。」 南が受け取った今週のレンタル料は、微かに汗ばんでいた。 最寄駅のベンチに座って、互いの電車を何台かずつ見送りながら、どうでもいいことを話したりする。 東方から半分分けてもらった苺味のメロンパンは、どう考えても南好みの、甘い味だった。 自然にできていたことが、理由をつけないとできないのなら。 理由をつけてでも一緒にいたい、そういう日があるのは。 不自然じゃないぐらい、距離を詰めて。 すこしだけ、肩が触れるくらい。 東方の手に、南の右手が重なる。 あとすこしだけ、次の電車がくるまで。 あとすこしだけ、伝えたい言葉が出てくるまで。 |