ordinary days2
いつもの時間に、携帯からいつものアラーム音。
南がベッドから起きてカーテンを開けると、梅雨の間の晴れ間 なのか、ここ何日かでは珍しく、澄み渡った青空が広がって いた。
朝日を遮る雲がないだけで、何となく気分が上昇するから 不思議なものだ。
霧がかった心にも、一筋の光が射したような。

そこまではよかったのだが、朝飯を取りながら視界に入る テレビの占いで、蟹座がワースト1だっただけで、南は大きい 身体を猫背にしながら部室の鍵を開けた。

学校に行って、部活に出て、朝から熱血な壇を励まして、息 切れしそうになっているところを、室町に冷静沈着に励まされ て、千石と同じクラスで授業を受けて、昼休みにからかわれて、 放課後亜久津をCDを貸すことを条件に、部活に引張ってきて、 東方と一緒に新渡戸・喜多ペアとダブルスの練習をする。
毎日同じことの繰り返し。

それでも今日1日は、千石にラッキーのかけらでもいいから 分けてほしいとないものねだりをする。

部活動に関しては、信念なんて大袈裟なものではないが、南 は思っていることを貫き通す人間。
しかしそれ以外の、例えば自分の周りの環境であるとか、他人には、左右されがちなのかもしれない。
ちなみに嘘をつくのも、つかれるのも苦手で、気心知れた相手 には主義主張を掲げるのに、肝心な時には一番言いたいこと を伝えられずに、損をしてしまう人間でもある。

そして、予想外の出来事には、面食らったまま思ってもない ことを口走ってしまう。
周りがそれを汲み取ってくれるタイプばかりかといったら、そこは中学生。
毎日自分のことで精一杯な者が殆どだ。

部長というポジションなので、部員の相談に乗るのも役目の 一つだが、南は何でも適当に「大丈夫。頑張ろう。」で締め くくることは、腹を割って話してくれる相手に失礼に当たると 思い、気の利いた言葉をかけられなかったと後悔することも しばしば。

当の本人は話すことで、急に心の中が春満開にはならなく ても、可能性の種の一つくらいは、南からの励ましを土壌と して、発芽の準備に入っているはずだ。
それでも、他人の痛みを自分に重ねて考えられる南の優しさ は、弱さとなって彼の正義感を苛める。

部長と呼ばれる人間は、本当はカリスマ的存在でも、部員の 尊敬と羨望の眼差しを一心に受ける、何でもできる神のような 存在でもない。
むしろ部員達を支える大地のような存在であり、陰で地道な 労力を毎日の雑務に費やしている、涙ぐましい存在なのだ。

その努力を感じさせない、飄々としたタイプもいるし、部長風 を吹かせるのを嫌うタイプもいるし、悩んでいるのかすら感じ させないタイプもいたり、部長の型にはまらずに己を主張する タイプもいたりで、一口に部長といっても、所詮悩める中学生。
部長である前に、思春期真っ盛りの少年の一人。
南だって例に漏れずナイーブな、15歳になりたて男子なのだ。

昨日南は委員会で部に出るのが遅くなり、一人部室で着替え ていたら、通りすがりの後輩が、
「南部長は真面目すぎてうぜぇ!」
「答えが的を得なくて要領悪いんだよ!」
と話しているのを耳にした。後輩いわく、完璧主義なわりにプレッシャーに弱くてすぐ悲観的になるそうだ。

何をやっても文句を言われ、最近自分にはこんなはずじゃ なかったという、試練のようなことばかりが襲う。
気の持ちよう、視野を広げよとは言うけれど、自分の中の常識を覆すなんて、そう簡単なことではない。

---自分でわかってることを改めて他人から指摘されるのって、 どうしてこんなにもこたえるんだろう。
---そんなこと言われてまで頑張る必要あるのかなぁ。
---そもそも俺って、必要とされてんの?

自分の生まれた日に、自分の存在意義を考える。
それはとても有意義なことかもしれないけれど、南の脳裏に浮かぶのは、己の生誕祝福とはかけ離れた、どれも悲観的な言葉たち。

どんなにエンジンがかからず、スピードが出ない朝でも、歩き 慣れた道では、知らず知らずのうちに学校へと着いてしまう。
南は部室の壁を背にして両腕を組み、焦点の合わない目で、テニスコートを眺めていた。

好きで始めたことなのに、好きだからこそ自分を苦しめるもの。

「おはよう南。相変わらず早いなぁ。中入らないのか?」
純粋に好きなものと、それ故に悩む自分を遮断するように、南 の目の前で大きな手が振られる。

テニスと同じくらい、最近の南には悩みの種の存在。
種は種でも、彼は知らぬ間に南の心に根を張って、あわよくばそこ花どころか果実まで栽培しようとしているのではないかと思われる、脅威の存在なのだ。

「おはよ。…東方先にどうぞ。」
南が目線を動かさないで左手だけドアの方に動かすと、梅雨時の蒸し暑さからとは違う、いやな汗が額に浮かぶ。

一つ不調に気付くと、胃がキリキリしてきて、頭がボーッと して、そのうち腹まで心なしか痛いという症状が連鎖的に出て くる、いつものパターン。
いつものパターンに慣れつつある自分を厭になるのも、いつ ものパタ―ン。
そしてそんな南を東方がなだめるのも、いつものパターン。

東方は南の左横にバッグを置くと、その中からガサガサと 何かを取り出した。
そのまま南にならって壁際に立つと、下を向いて顔にかかった前髪を長い指で後ろに流す。
こういう仕草を、南はつい最近までいつも風景の一部でもあるかのように見ていたはずだった。

「なぁ、今日の占い、蟹座がベスト1だったよ。」
「…ワースト1だろ!?わざわざ気をつかうなよ!」
南が不信なものを見るような視線を露骨に向けたのに、

「これこれ。この占いは結構当たるんだぞ。ほら。」
朝から不快指数の高いこんな朝でも、その噛み付きをやんわり と受け止めると、顔色一つ変えずに涼しげな笑顔で、コンビニ の袋ごと雑誌を渡してくる。

東方のこういうところが、南には羨ましいと同時に苦手なところ でもあって、いたたまれない気持になる。
自分がただの八つ当たりをしている、みっともない人間だと思い知らされる瞬間だから。

そんな自分を何でもない顔をして受け止められるのは、もっと 落ち着かない。
彼の中にはこんな南健太郎という存在も、当たり前にあるの かと思うと。
今まで考えていたことがとってもちっぽけで、くだらなく思 えるから。

そこには確かに
『今日のあなたの運勢は二重丸!今まで悩んでいたことが、 誰かの一言によって解決するかも★ラッキーパーソンは乙女 座の人(ハートマーク)』
と能天気な文章が綴られていた。

「…何だよこれ、乙女座が自分って言いたいんだろ?」
南が存在感のある眉毛を寄せて、乙女座の彼に今日初めて ピントを合わせる。
「…。」
東方は他に誰がいるのかと、右肘で南を小突く合図で伝えたい ようであった。
南はこれ以上彼のペースで話を進められてはたまるかという 意地で、わざとそのサインに気付かないポーズをとる。

「俺さ、占いっていいことだけ信じるタイプなんだよ。」
「…オマエってそれ自体信じないのかと思ってた。」
「自分でこういうものを気にするようになるとも思ってなかった しな。ちなみに乙女座はワーストワンで、ラッキーパーソンが 可愛い蟹座の子らしい。だから信じていいのか試させてくれるか?」

突然左手首を、東方の右手で掴まれ、冷やりとした感触に 一瞬気をとられて下を向いた南の額に。
当然のように、ごく自然に落とされる、その唇。

「…!!何すんだ馬鹿!!」
「こういうのっていい加減ぽいけど、結構当たるんだな。 具体的にどこがって訳じゃないけど、当たるんだよ。あれ かな、気の持ちようってやつ?絶対じゃないけどさ。こういう 勝手な占いって、南は嫌い?」

南が振り上げた雑誌を掴むと、東方は右手をドアに手をかける。
南に言い聞かせるような、穏やかだが諭すような声。

「誕生日おめでとう。南が自分を嫌いになりそうでも、俺は そういう南も好きだから。」

荒れて弱った大地に染み入る優しい雨のような、砂漠に咲いた 一輪の花のような、控えめだがしっかりとそこにある存在。

よくよく考えると、そのコンビニは相方の通学路には存在しない チェーン店。
しかもご丁寧に週末のサッカーのチケットと、南が好きな コロッケパンと鮭ハラミのおにぎりまで入っていた。

---「部長やってる時点で大変なのに、委員もこなせるのって 充分、魅力ある人間なんじゃないのか?愛しいっていうかさ。」

先日言われた言葉を改めて思い出す。
けなし言葉にしろ褒め言葉にしろ、ストレートなものほどダメージが大きいはずのに。

東方のストレートな表現だけは受け入れてしまう自分がいて。
東方と二人でいる時だけ自分勝手になれる時間があって。
少しだけ、自分は必要とされているのかなと、自信が持てるから不思議だ。
悔しいから普段なら、そんなこと絶対言わないけれど。
放課後連れて行ってくれるというケーキ屋で奢ってもらっ たら、少しだけ素直に言ってみよう。
勝手な占いも、東方の勝手な思いこみも、実は嫌いじゃない って。---

昼休み、いつものように大好きなパンとおにぎりを食べる自分 の前で、何食わぬ顔で弁当を食べている相方を見つめながら、 南は普遍的な時間も悪くはないと言いかけて。

悪くはない、ではなくて、好きだと心の中で訂正をする。

嫌いじゃない、ではなくて、好きかもしれない、とも。


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