変わる日々、変わらない君。(前編)
2日前。

「雅美はどうしていつもそうなの?」

東方は、自分の彼女である酒井香織に突然そう言われた。
別に喧嘩したわけじゃなく、特別何かあったわけでもない。
香織が急に泣き始めたので、東方は表情にこそ出さないものの少し困っていた。

「どうしてそうなの、って。何が?俺なんかした?」

彼は泣いている彼女を周りから隠すようにして、大学の校舎の中に引き込んだ。
人気の少ない最上階まで香織を連れて行くと、
東方は彼女を落ち着かせるためにホットコーヒーを買ってきた。
彼女は彼のこうしたしぐさ一つ一つが好きで、それ故に許せない事があった。

「何もしてくれないから、怒ってるの・・。」

香織はコーヒーを口につけ、少し寂しそうに言った。
彼女は心底東方の事が好きで、けれど何も動じてくれない彼に不満を持っていた。

東方の通う大学は薬科大で、薬学部のある大学ではそこそこ名の知れたところであった。
薬科大の学生というものは、出会いが少ない。
それは通常の大学と違い、実験やレポートで日々追われ、遊んでいる暇がないからだ。
彼の通っている大学も例外でなく、毎日のように実験が終わるのは夜の8時であったのだ。
疲れ果てて、合コンどころではない。
それ故に男子も女子も、同じ大学同士で付き合っていることが多く、
東方も例に漏れず同じ実験クラスの香織と付き合っていたのだった。

「・・・もう、別れよう・・。私、我慢の限界。」

香織の言葉に少しだけ目を見開いた東方だったが、彼には彼女の言うことを止めるつもりはなかった。

東方と香織が付き合い始めたのは、香織から告白したからだ。
友人として1年以上付き合い、告白されてからは半年目。
それほど浅い付き合いではなかったのに、香織には常に不安があった。
それは東方の無関心さだ。
東方は香織に告白された時、
『君を好きになれるか、満足させられるか分からない。嫌になったらいつでも言って。』
と実に淡白な回答を寄越したのだった。
だがそれは、彼にとっては誠意を表しただけで、香織も東方を好きなゆえにそれを理解した。
たとえ彼に他に好きな人がいようとも、それでも付き合ってほしい・・当時の香織はこう思っていたのだ。

しかし、共に過ごせば少しは好きになってくれるかと思っていた香織の予想は見事に外れた。
東方は、友人のラインとさほど変わらない位置で彼女に接し続けたのである。
それは精神的に、という意味であって決して肉体関係がないわけではないのだが。
彼女を抱く時でさえ、彼からは気遣いはあれど友情以上の愛情は感じられない気がした。
もしかしたら彼は、友人に「抱いてくれ」と言われてもそうしてしまうのではないか、と思ってしまう程に。
が、香織は東方がそんなに不誠実な人間でない事が分かっている。
そんなことはしないだろう。
でも。

愛のない優しさほど残酷なものはない・・。
彼女は最近そう感じ始めていた。
友人達に「東方君って優しくっていいね」と言われるが、優しさは時にナイフにもなる。
その優しさが、真に自分を慈しんでくれて生まれたものならば、本当に嬉しいに違いない。
だが、それが誰にでもする程度のものならば、自分は彼女である意味などあるのだろうか・・?

付き合ってくれればいい、そんな当初の思いなど、人間すぐに忘れてしまうものだ。
今は彼の傍にいることさえ息苦しい。
同時に、それでも好きだった。

「・・・香織のしたいようにしていいよ。」

その言葉は、刃だ。
香織は東方の頬を打った。

「雅美は、誰も好きになんてなれないんだ・・!」

そう言って駆け出す香織を、東方は申し訳なさそうな瞳で見つめていた。





「ああ、東方。」

南は見慣れた人間の姿を見かけて、周りを確認してからその人物に近寄った。
レンタルCDショップでバイトをする南は、片手に30枚ほどのCDを抱えている。

「南、」

そう言って振り向いた人物は、1ヶ月に2、3度はこの店に現れる。
彼はいつも、南の仕事の邪魔にならぬよう、自分の趣味の音楽を物色しては借りていった。
大抵借りていくのはアルバムや旧作ビデオのため、返しに来るのは1週間後だ。
だがそれでも大学付近に独り暮らしをする東方にとって、この店は決して近くはない。

「南、お前明後日休みか?」

「土曜?ああ、別に予定入ってないけど。・・・彼女いねえし!」

最後の部分だけ、少しおどけて言う南。
東方は2日前に振られたばかりだが、南の方はもう3ヶ月も前に彼女と別れている。
原因は、聞いていない。

「じゃあ、久々に映画でも見に行かないか?」

そう言った東方の顔に、南は少し翳りを感じた。
そして、東方の久々の休日のはずであるのに、相手は自分でいいのかとも思った。

「お前さ・・、」

「香織とは別れた。」

「え・・」

あまりにもサラリと言う東方に、南の方が呆気にとられる。
東方の顔からは、その言い方に無理をしている様子はない。
南は自分が彼女と別れた時は、 それなりに淋しい思いをしたので東方の余裕そうな態度が不思議だった。
強がるような人物ではない、自分と違って。
そしてまた、そんなに情のない奴でもないはずだ。

「2日前、な。」

「・・・・・」

昨日の夕飯はカレーだったんだ、とでも言うような何気ない口調。

「・・香織さん、好きだったんだろ?」

「・・・・・まあ・・・。でも別れるって言ったのは香織の方だし、」

「え!?」

南はてっきり東方の方から別れを切り出したのかと思っていた。
それくらい東方の顔には寂しさとか、そういったものが見受けられなかったのだ。

「そういうわけで、独り者同士仲良く映画でも見に行こう、な?」

「いいけど・・、恋愛ものじゃないだろうな。」

明るい声で言う東方の声に違和感を感じつつも、
南はそれに合わせて皮肉るように笑った。

「え?そのつもりだったけど?」

「マゾか、お前は。」

「何で。」

「別れたばっかのくせに、恋愛映画見て何が面白いんだよ。」

「ああ、そっか。」

東方の間抜けな声を聞いて、南は仕事中にも関わらず軽く殴ってやりたくなった。
この相方は、隙のない完璧さを見せることもあれば、時々本気で鈍感な事がある。
もしかして別れたのはそれが原因なのかもな、などと思いつつ南はCDを棚に入れる。

「ま、別に何見てもいいけど、あんまり恋愛色強いの見たくないな俺は。」

「南はアクション系か、感動ものが好きなんだろ?今盲導犬のヤツやってるよな。アレにするか?」

「何か馬鹿にされてる気が・・・。今回はお前の好きなのでいいよ。
 振られて可哀相だからな!」

きついような言葉もわざと。
ふざけ半分で言ったものの、南は言った後にほんの少しだけ東方の様子を窺った。
このくらいで自分の相方が傷つくとは思えなかったが、 気を回しすぎるのが南の昔からの癖。

「はは!じゃあその可哀相な雅美くんに、一日付き合ってもらうとするかな。
 奢ってくれてもいいんだぞ?」

「昼飯くらいなら奢ってやるよ。つーか雅美くんとか自分で言うな、キモイ。」

全く応えた様子のない東方を見た彼は、 少しくらいしょげて見せた方がまだ可愛げがあると思うのだった。
南が溜め息をついていると、東方は「これ以上は邪魔になるから」と言って帰っていった。
特に何も借りていかないところを見ると、南に会いに来ただけのようだ。
別れた、という内容も、映画に関してもメールで十分事足りるはずなのに、 それでもここまで来たということは、もしかしたらそれなりに気落ちしていたのかもしれない。
少し人恋しくなっていたのだろうか・・。
南はそんなことを頭に浮かべて、土曜は少し優しくしてやろうと考えた。





一方東方の方は、帰り道でまとまらない思考に溜め息をついていた。
香織と別れた事で、ではない。
そのことが関係してはいるが、変な言い方香織には未練など少しもなかったのだ。
むしろその未練のなさに彼は悩んでいる。

「これは、振られるわけだよな・・。」

少しも好きじゃなかったとか、決してそういう訳ではないのだ。
ちゃんとそれなりに好意は持っていたし、そうでなければ付き合いなどしなかった。
しかし、付き合ったものの彼にはどうしても『愛情』が芽生えなかったのだ。

東方の女性遍歴は極めて少ない。
中学はテニスで以外のことは目もくれなかったし、高校でもそうだ。
高3になってから部活をやめて、それから数ヶ月初めて付き合うということをした。
相手は隣りのクラスの女子で、過去2年間同じクラスで割りあい仲良くしていた人間だった。
友情は最初からあったし、自分に赤くなって話しかけてくる姿を可愛いと思った。
だから告白された時断らなかったし、自分にも‘そういう時期’がきたのだと判断した。
本当は、心の奥底にある深い感情に気付くのを恐れただけかもしれないと思いながらも・・。
そして付き合って数ヶ月、彼女から別れを言い渡された。
その理由は、今回香織に言われた事と大差ないように記憶している。

その後春休みから大学1年にかけて、また一人と付き合っているがその人物とも別れた。
その時は東方の方から別れを切り出したのだが、
別に嫌いになったわけではなく罪悪感を抱いていたからだったのだ。
その相手が、あまりに自分を好きすぎて応えられなかった・・それが理由。

「俺はもしかしたら・・・一生・・・」

まともな恋愛など、出来ないのかもしれない。
東方は泣いていた香織を思い出して、
こうなるなら初めから付き合わなければ良かったと思うのだった。

それと同時に、香織との別れで完全に自覚してしまった想いに、
自分の将来を悲観した。


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