変わる日々、変わらない君。(後編)
「もうこんな時間か、そろそろ行くかな。」

南は部屋で小さく呟くと、腕時計と財布を持って玄関へ向かった。
東方が彼のバイト先へ来てから数日・・。
南にとって待ち遠しいような、そうでないような土曜日がもう来てしまっていた。

中学生の頃から、南の几帳面さは変わらない。
約束の時間に遅れることは、部長だからではなく彼が人間的に許せない事だったからだ。
だからといって、人が遅れるのは大幅でなければ咎めることはしない。
ただ、あまり待ちすぎると場所を間違えたのかと焦ってしまうだけで。

そして今日も南は待ち合わせの15分前には着くように家を出た。
実際は意味もなく早起きをしてしまい、もっと早くに家を出ることも可能だったのだが・・。

―何だかなあ・・。

今日という日を意識してしまった自分に溜め息が出る。
自分が何に意識してるのかということは彼自身もう分かっている。
分かっているからこそすっきりしないのだ。

―だって俺は。

南は少し前に彼女と別れて、その前にだって何人か彼女がいた。
その別れた彼女たちの事を、南はちゃんと好きだった。
一般に言う、恋愛感情だと思っていた。
でもそれは、思い込んでいただけだったのだ。

思えば東方と自分の両方に彼女がいないというのは高2以来だ。
だから、彼女に気兼ねなく、時間を気にすることもなく、 またメールを気にする事もなく過ごせるのは久々なのかもしれなかった。
やはりどちらかに彼女がいれば、途中でメールや電話はあるだろうし、 まず休みの日は彼女優先に使わなければならない。
自分と東方の間には、もう長年の絆・・・というのは変かもしれないが、 そういうものがあるので、たとえ数ヶ月連絡がなかろうが関係が壊れる事はないのだと 南は思っていた。
それだけでなく、実際東方は薬科大に入ってからというものほとんど休みがなかった。
月曜から金曜までは朝から晩まで授業に実験、レポートに追われる日々。
そして土日くらいはバイトしなければ、 などと言って知り合いの店で都合をつけてバイトをしているのだ。
忙しいことこの上ない。
だがそれは毎週ではないらしく、今日のように休みになる日もあるようだ。
そうでなければ、身体がもたないだろう。

だがそれでも東方と長期間離れることは滅多になかった。
というか、今まではなかった、といえる。
それは先日のように彼が南のバイト先に訪れるからであって、 南から会おうとしたわけではないのだが・・。
これといって理由がない限り自分から会いに行こうなどとはしない南にとって、 東方のその行動はありがたかった。
南のそういう性格が原因で、今までに疎遠になった人間が何人いるか分からないから。

「東方、早いな。」

予定より5分遅く到着した南だが、それでもまだ待ち合わせの10分前だった。
普段は大抵南の方が先に着いているのだが、今日は珍しく彼の方が早かった。
とはいっても、東方も時間に遅れる人間ではなかったが。

「ああ、バス1本早く乗れたからな。じゃあ南、行こうか。」

穏やかに笑う東方の目に、南はどことなく違和感を感じる。
しかしそれは、自分の中にある妙な感情のせいなのだと思い直し、 二人で映画館へと入っていったのだった。

「大人2枚。」

そう言って、二人で財布を出す。
結局見ると決まった映画は純愛と感動を織り交ぜたような洋画で、 南は見たくないわけではなかったが見終わった後に変な感情が残らないことを願った。

飲み物を買って、席につき暗くなるのを待つ。
その間の他愛ない日常の話は、二人の距離を近くも遠くもするのだ。
そしてふと中学時代の話になると、千石の名前が必ず出て懐かしさがこみ上げる。

相手の顔を見てるような見ていないような角度での会話。
南の方は故意に見ないようにしていた。
目が合えば合うほどに、奥にしまっていた想いが外に浸透してしまうから。

「お、始まるな。」

開始のベルとともに薄暗くなっていく会場に、東方が言葉を洩らす。
だがすぐには映画自体が始まるわけではなく、
他の映画の予告や映画館での諸注意が入り、じれったさがこみ上げる。

その後の映画を見て、南は珍しく集中できないでいた。
純愛が嫌いだとか、恋愛ものの映画を見たくないわけじゃない。
それなりに感動するし、彼女とはよく来ていた。
だが今隣りにいるのは東方で、男であって・・・・・・。

―せっかく・・・知らない振りしてたのにな・・。

気づかない振りをし続けた自分。
彼を思う気持ちは、友情だ、親愛だ、もうむしろ家族愛なのだ。
そう、思い続けてきた。
思い込もうとしていた。
なのに今になって分かるのだ。
昔から彼に抱いていた感情が、親友にむけるそれとは違う事に。

―最低じゃないか、俺。

南なりに大切にしてきた彼女たち。
でもそれは東方の代用にしか過ぎなかったと知ってしまった今日。
そんなつもりはなかったのに。
ちゃんと好きだったのに。
それでも南の中で東方を超える存在はいなかった事に改めて気づかされた。

―何で今更気づくんだよ。

中学や高校までなら、思春期の同性への憧れ程度で済んだ問題も、 大学生になった今ではそれでは通しきれない。

画面に映った女優と男優のキスシーン。
人目を憚らず、好きと言えるその羨ましいポジション。

画面に見入る東方を横目に、南はこっそり溜め息をついた。





***


香織と別れてから、数日。
南のバイト先に行った翌々日、つまり昨日。
東方は一度だけ香織と二人で話しをする機会を持った。
大学に入ってからの初めての彼女で、友達づきあいから始まった関係だった二人。
香織はまだ自分を好きだろうことを、東方は感じ取っていた。
だからこそ、彼から何かを言う事などはしなかったのだ。
しかし香織は何を思ったのか、東方と二人で話したいと言ってきて彼はそれを承諾した。
場所は彼らがよく校内デートをした薬科大内の温室。
そこには実験で使う植物が栽培されているが、普段は人気がない。

「この間は、感情的になって・・ごめん・・。」

香織は申し訳なさそうに東方の目を見た。
そして東方も彼女の瞳を見つめる。
心なしか、自分と付き合っていた数日前より、彼女の目が穏やかになっている気がした。

「私ね、本当はなんとなく気づいてたの。雅美が、私を好きになってくれない事。」

「・・・・香織、」

「雅美が、誰も好きになれないなんてこと、ないってこと。」

香織は「それでも雅美が好きなんだけどね、」と聴こえないくらいの声で呟いた。
東方は、香織が温室の薬草に目線を移したのを見て、自分も他の植物の方に歩く。

「雅美はね、『ミナミ』って人が好きなんだよ。」

「!」

正直、驚いて声が出なかった。
東方は目を見開いて、自分が今彼女に背を向けていた事に胸を下ろした。
そして肩を揺らすことなく深呼吸すると、平然とした様子を装って呟く。

「何で、そんなことを・・」

「雅美の家に泊まったとき、・・・その・・・した後・・雅美が寝てて・・。」

ほんの少し、涙ぐんだ声が聴こえた。

「・・・・愛しそうな声で呼んだ名前は・・・・私じゃなかった・・・。」

たぶん、ミナミと言っていたと、そう香織は言うのだ。
携帯を見れば、きっとその人が誰だか、番号もアドレスも分かるのに、 それでも彼女は東方の携帯を見る勇気がなかったのだという。
そのことに東方は少し安心した。
もし携帯を見られていたのなら、確実にばれてしまっていた。
『ミナミ』が男だということが。
東方は携帯に名前を入力する際、フルネームを入れる癖があるからだ。

「ちゃんと、好きな人と付き合わなきゃダメだよ?じゃなきゃ、誰かが泣く事になる。」

それは暗に自分のことを指していたのか、またこれから先東方と付き合うことになるだろう 女性たちを気遣ったのか・・・。
それとも、彼自身を戒めたのか。

どちらにしろ、東方には謝る事しかできなかった。



「はぁ・・・」

隣りで映画を見ている南から、かすかに溜め息が聞こえてきた。
東方は南の苦手な純愛ものに連れてきたために、退屈でもしたか、と思い目線を向ける。
だが彼からは眠そうな素振りも、といって画面に集中している素振りもなく、 何か考え事をしているようにしか見えなかった。

―バイトの人間関係か?

中学の頃からやたら苦労性な南を見てきた東方は、 南の想いなど気付きもせずに苦笑していた。
何でも溜め込みやすい南は、悩んでいる事が他人の目から分かるにも関わらず、 こちらから聞かない限りは絶対に相談をしてこない。
東方は後で愚痴でも聞いてやるかな、などと能天気な事を考えて また映画に集中した。

ラストシーンはベタな展開で、正直悲恋話の方がいい作品になったんじゃないか、 などと二人は思っていた。
そして実際それを口にして、会場のほかの客からもそんな言葉が聞き取れて、 思わず笑ってしまった。
だが東方は、映画をそんな風に見ながらも、 主役二人の恋愛を羨望の眼差しで見ている自分に気づいていた。

男と女なら、同棲しようと駆け落ちしようと、例え周りから反対されようと、 誰かしらが応援してくれるのである。
でも自分は、この隣りにいる胃薬常備してるような青年に、 告白する事さえもできない。
例えできても、それは彼の薬の回数を増やしてしまうだけに違いないと思えば、 変な目で見られていると知って疎遠になってしまったらと思うのが怖くて、 口になんてできるはずがなかった。

「少し腹が減ったな。何か食べないか?」

「そうだな。あっちにガストあるから、そこでいいだろ?」

「ああ。」

映画は映画。
それは分かっている。
実際あんな上手い恋愛が男女でさえできるはずもない。

―それでも。

ふと道行く人たちを見る。
手をつなぎ、くだらない話しをしながらも楽しそうな恋人たち。

―触れたい。

そう思っても、叶わない望み。

「東方?」
「あ、ああ。入ろうか、」

ファミレスの二重扉を開け、案内されて席につく。
ちょうど昼時の店は混んでいて、彼らが好んで座る禁煙席には座れなかった。
メニューを頼んだ後、隣りから漂ってくる質の悪いタバコの煙に 東方は眉を寄せた。
タバコの煙は頭にノイズが入るようで、好きではなかった。

料理が来るまでの間、ドリンクバーからコーヒーを持ってきて映画批評を始める。
内容はイマイチだが、選曲は良かったとか、脇役がいい味を出していたとか、 そんな他愛ない話し。

一通りそんなことを話していたら、ふいに沈黙が訪れた。
一瞬目が合って、南がそれとなく俯く。

それを見計らって、東方が口を開く。

「「なあ、何か言いたい事ないか、」」

ほとんど同時に、南も同じ声を上げて二人は顔を見合わせた。
一言一句違わないセリフに、二人して笑いが抑えきれなくなる。
少し気恥ずかしいように笑った南も、東方も、 なんだかその後自分の言いたかった事を口に出来ない雰囲気になってしまい、 その言葉は流れていった。

でも実際、あの呼びかけにはどれほどの想いが込められていただろう?

相手を心配する自分。
相手を労わりたいと思う心。
自分が、悩みを軽くしてあげたいと思う、その反面に。
自分だけが相手のことを全て分かっていたいと思う我侭な自分。

東方はそんな自分に軽く笑って、 義務的に口に運んだ食事に味を感じることができなかった。





大学生なのだから、もっと遅くまで遊べばいいものを 今日の二人は何となくそんな気になれず、近くの公園のベンチに座った。
子供たちが帰って薄暗くなった公園にいるのは彼らだけで、 中学の頃ブランコに座って部活の反省会をしたことを思い出した。

南も東方も、自分の気持ちには十分気付いていて、 それでも一歩踏み出すことができないのは彼らの性格ゆえだった。
男同士での恋愛は今では理解がある、そう思っているのはたったの一部で、 実際には世間の目はどこまでだって冷たいし、実際そういう関係になりたいのかさえ 彼らには分からなかった。
ただ、言葉にできない大切さが込み上げてきて、 会いたいとか、時には触れたいとさえ思ってしまって、 それが無性に罪な事に思えて・・・。
そして結局は何も変わらないでいるのだ。
日々は、目まぐるしく変わっていくのに。

「月が綺麗だなー。」

「ああ、三日月も悪くないなあ。」

どうでもいいことを口にして、また会って、笑って、 時が過ぎて・・・。
きっとそれでも自分の傍には相方がいるのだろうと彼らは疑わない。
たとえそれが親友というポジションでも、一番近くにいるのが自分でありたいのだ。
何年経っても、彼らが自分の想いを口にすることはおそらくなくて。

「俺たちさ、きっとジジイになっても一緒にいるんだぜ。」

そう言った南の声は笑っていて、 でも内心は東方の目を見れないほど切なくて。

「伴爺みたいなじーさんにはならないようにしないとな。」

南の声に笑って答えた東方は、 一緒にいられる喜びといつまでも秘めなければならない想いに 胸が苦しくなって、二人して自分自身を誤魔化すように笑った。


触れ合うことのない手は、本当は温めあえる事を気づけずに・・・。

そうして今日も何事もないかのように、

二人はそれぞれの帰路についていく。


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琥珀さんと「切ない東南、付き合わなくても一生互いが一番大事なのは究極!」というお話をしていて、ちょうどいい時に前サイトでキリリクさせて頂けました。
人様の東南で初めて泣きました。わ〜ん…!
琥珀さん、どうもありがとうございました…!透明感溢れる心情描写が大好きです!