何もしない時間(後編)
二人で食べたピザは南の好きな物を東方が奢ってくれ、二人で観たDVDは南が選んだものを東方も喜んでくれた。
深読みするような内容は避け、楽に観られるものを選んだつもりだったが、そういう基準で選択している時点でますます南の胸はチクリと痛んだ。
配達されてきた箱を受け取ると、東方は南が座ったソファーの斜め前に腰を下ろして、テレビに見入っている。
気が付けば南は手を伸ばせば触れられそうなその上半身に見入っていた。
途中からソファーに寄り掛かってくるその背中に押されて皺にならないよう、南は昨日から置かれたままの上着を自分の膝に引き寄せた。
それだけで東方本人に包み込まれているような感覚に陥り、内容もろくに頭に入ってこない映画に少しだけ感謝した。
カーテンを閉めきっていなければ、薄暗い空間は存在せずに、東方の視線は 南に注がれる。
それでも、互いの関係が白日の下晒される日はこの先もきっと、来ないのだ。

意識しないようスイッチを切り替えたくても、付き合いに比例して錆び付きそうなそれは一度入れば引き戻せないほど硬い。
それでももしこの想いが淡いうちにと、二人して無理にこの濃密な関係を、深い絆と呼びあえるところまで押し返そうと急いている。

「んー…何か…。」
何本目かの映画が終わって伸びをした東方の腕が南の腿に命中した。
「え!?何?あ、今ひとつだった…?」
間接的に触れられた南は、何でもない振りをするのに精一杯で、予想外に 上ずってしまった声を恨んだ。
「うん?あぁこれ忘れてたのか、俺。」
そのまま後ろ手に服を強く引っ張られて、思わず東方の背中に前のめりで抱きつく形になった。
「め、珍しいな…そういや酒も結構飲んでいたみたいだな?」
「…っ、南も…面白かったが、おまえのチョイスじゃないみたいな感じだったよな…?」
努めて平静さを装うセリフも、声色に明らかな動揺が滲み出ていて、それだけならまだ、南は己の身体を剥がすだけで対処できた。
だがそこには、今まで一度だけ、夢の中で自分の下の名前を呼んだ、あの時と同じ、掠れたような、それでいて湿った音色の余韻がある。
視線をずらせばあの日と同じ、熱を帯びた瞳に捉えられて、南は慌てて東方から離れた。

きっと二人とも今、同じ想いを抱えていて、同時にそれが取り決めたルールにより近づいてはいけないとされていることも、きっと気付いているのだ。
それでも、長年積み重ねた大切な想いで錆び付いたスイッチは、これ以上無理な力を加えれば、どちらかに切り替えられたままで無情にも壊れてしまうのだ。
ただでさえ、消せない過去へ強引に傾かせたそれ。

南は手を伸ばせば届く距離にある東方のその身体が、初めて自分だけのために、存在してほしいと思った。
壊れる前に今ここで、そのスイッチを壊してしまいたいとも思った。
触れてほしいと願ったのも、東方だけに起きた衝動だった。

「俺さ昨日、教え子に聞かれたんだ…『ミナミさんって、どんな人ですか?』…って。…なんて言えばいいのかわからなくて、ここ一晩で考えた…。」

大切な東方に絞り出すようにそう告げられて、痛いほど真摯な姿に触れ、それでもやはり、その言葉の先を南から先を促すことはできなかった。

二人とも知っているのだ。重ね続けた嘘の重みを。

南は本来、感情が外に出やすい。

東方は、南の感情に特に敏感だ。

そうして今、隠し切れない感情を、互いが読み合うことは、あまりにも簡単だとしたら。

「でも俺、なんて言ったってきっと、後悔したと思うんだ…。」
立ち上がってカーテンを開けると、いつものように優しい穏やかな声で、東方は言った。
急激な視界の変化に耐えられず眩しい光に目を細めながら、南にはそれが、彼の、今の精一杯の優しさだと思った。
言わないことも優しさなのだ。
それでも、今の南にはもどかしいだけだった。
同じことをされても、東方でなければ意味がないことに気付いてしまったのだから。



その日の夕飯の味も、交わした会話も覚えていない。 ただ南のその手に残ったのは、いつまでも消せない温もりだけ。



こうして今日もまた、君のことを想っている。


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