気付いてる?(後編)
千石達の楽しそうな笑い声が遠ざかるのを聞きながら、東方は南が待つ場所へ向かった。汗でべとついたユニフォームを手早く脱ぐと、南の隣りのシャワーを陣取る。
「お疲れ。何か楽しそうだったな。」
南は濡れて垂直に落ちた黒髪の間から、東方に笑いかけた。
それがまるで、先ほど他の部員を労っていた時のトーンと全く変わらないように聞こえて、東方は、「別に。」とだけ素っ気ない返事をした。

「そうか、すまん。」
日頃親身になって接してくれる相方の、つれない素振りに動揺したのか、 珍しく心にもないことを口にする南。
そのままうつむいて、リンスを手にとっている。
お世辞も下手だが、根は真面目で正直で、正義感もある男のしおらしいポーズに、何故か虫の居所が悪くなる。
自分が持ってきたシャンプーのボトルを持ち上げると、南の後頭部に垂らした。
「別に。」
もう一度言ったら南は必ず勘ぐる。
そう確信し、突き放すように低い声で、誰に宛てるわけでもないように。
タイル張りの壁に反響したそれが、思いのほか冷えていて、東方はハッと南を見た。

「…東方、これは何かの罰ゲームなのか?俺、ここ、大事にしてるんだよな。」
落ち着かせるつもりが泡立つ髪の毛を一房引っ張り上げながら、こちらを 見上げるその泣きそうな目元に、ゴクリ、と喉が鳴る。
いつもならすぐそこで、「ごめん。」と謝る。
でもそこで、面倒なことは基本的に好きではないから、折れた方が上手く行く、という本音は働かない。
ただ、自分と二人きりの時ぐらい、南の困った顔は見たくないだけで。

「南は皆を大事にしてるし、大事にされてるもんな。」
口に出して初めて、この感情をなんと呼ぶのか理解できた。
「何だよそれ…本気で言ってるのか?」
軽蔑とは違う、怪訝とも違う、単純に東方の放った言葉に、疑問を投げかけるように。
望まないのに律儀にもう一度、かけられた液体を泡立ててから流す南 が目に入り、気が付いたら彼を後ろから抱きすくめていた。

「ちょ…狭いって!」
口ではそう言いつつも、南は肩をすくめただけで、身をよじって抵抗まではしない。
元からそれほど広くない、一人分の仕切られた空間に、中学生にしては規格外の体型の男に押し入られて息苦しいというよりも、どう受け入れていいのか戸惑っているようだった。

これまでも、試合後に勝利を喜び合う、といった以外にも何度か、南は人目を忍んで、誰もいない放課後の教室や、早朝の部室で抱き締められたことはある。
それでも、東方が周囲を気にする以上に、南は常識や規律をとても重んじる性格であったから、ほんの一瞬のこと。
相手の性格からして、南の意見をまず尊重するため、強引に何かをされたという記憶自体がなかった。

南はその一瞬だけはただ、穏やかで優しい気持ちになれた。
だから本当はそうされるのはいやではなくて、寧ろ嬉しい。
でも自分の性格上、素直に「ありがとう。」だなんて言って笑い返すのは無理だと、半分諦めかけていた。
いつも握り締めた掌が行き場所を見失って、どうしようか俯いていると、 そっと東方が離れてしまう。
その後決まって、彼はこう呟くのだ。
「…南、ごめん。」
目を伏せてしばらく押し黙る彼を真っ直ぐ見られず、南は己の口下手さを 少しだけ恨んだ。
自分からこうやって誘ったり、意味深ともとれるような行為をするのは、彼なりの精一杯だったりする。

「…みな…。」
腕に力を込めると、南はびくん、と震えた。
そのまま肩口に顔を埋める。
「…東方…?」
南は腹部の上あたりで組まれた手に、そっと自分の手を重ねると、東方に 自分の上半身を預けながら、様子を覗き込む。
「…あーオマエもしかして、俺と同じこと考えてるかもしれないな?」
ポタポタと落ちる雫を拭うように、ほんのり桜色に染まった頬を片腕で隠しながら、南はそう呟いた。

「同じ…?」
東方からは、南の様子を窺うことはできないが、相手から寄り添われて初めて、自分たちの姿に意識が注がれた。
腰にタオルを巻いているとはいえ、殆ど裸同然で密着しているのである。
一瞬理性が働き離れようとしたが、南の手でやんわりと腕が封じられて いる。
それが困ったことに、南の薄いけれどもしなやかに筋肉のついた背中や 肩甲骨を、自分の胸の中にすっぽりと入ってしまうという事実を、余計意識させる。

「…南。」
南の耳朶や髪の毛の生え際、首筋に唇を寄せると、東方はもう一度強く 彼を抱き寄せた。
こういうことが許されるのは自分だけだ、と確かめるように。何度もその感触を確かめるように。
独り占めしたいという気持ちは相変わらずくすぶっていたけれども。

「もっと預けてくれたっていいんだぜ?ってさ。」
相手の方が大きい自分よりもさらに、逞しい肩幅や腕や胸板を備えていたが、不思議と劣等感はない。
くすぐったくも、そうされて胸の奥底に新しい感情が芽生え、相手の方が それどころか東方の優しいだけではない、強引な面を垣間見られたことに、 南は密かに優越感さえ覚えた。

二人とも、好きな相手と一緒にいる、ということに、安らぎ以外を覚える のは、ほぼ初めてだった。
それがこの先、どんな意味を持つのか、そこまでまだ頭は回らない。
少なくとも相手に触れたい、触れられていたいという気持ちが一致すれば、またこのような時間が訪れる。
そのことをお互いに、厭とは思わない。
確かめられただけでも、二人には充分意味を持つ。

言葉で上手く伝えられなければ、たまには感情に身を任せて、態度で示してみても、それで壊れるような関係ではないということに、二人とも今更ながらではあるが、自信をつけたのだから。

この後我に返った東方が謝りながら南の頭を洗ってあげたが、南もされるがままになっていたとか、いないとか。


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後書き:
南に優しくていい人の地味'S東方も好きなんですが、東南になるときっと皆の部長と個人の南と、どっちも大事にしなきゃならないから、ほんとはそんな度量ないくせに、でもそこで放棄できないのは相手が南だからで途方に暮れちゃうんだろうなぁ〜とかそんな東方も同じ位好きです。
この先いざってなったら案外南の方が度胸が据わると思うんですが、やっぱり東方にリードしてほしいなぁとか妄想だけは果てしなく!
と言い訳し付けつつ、十綺さんリクエストありがとうございました!(20.5巻発売前だったので、部室の間取りが捏造です)